教育 発祥の地(厚真)
きょういくはっしょうのち
平成30年(2018) 9月の「平成30年胆振東部地震」で土砂崩れが起き、集落の13件中11件で死者が出た
「教育発祥の地」が何を指しているのか、情報が少なくよくわからなかった。もしかすると、碑の他に何らかの説明があったのかもしれないが、そうだとすれば全て土砂に流されたことになる。
厚真町のホームページによると、明治30年5月に公教育が始まったことになっているが、この場所ではなさそうだ。
一方、明治17年(1884)、山本鉄太郎が厚真村(当時)トニカに入植した。トニカとは現在の富里地区で、当地 吉野地区の北東に隣接した地域。明治初期から開拓され始めたが30戸のうち和人は3戸であとはアイヌ人だったという。山本は開拓に励むかたわらアイヌの生活厚生に尽力し、寺子屋式の私塾を開設した。これが厚真の教育発祥なのではないかとみられる。
いずれ、この「教育発祥の地」が何を指すのか詳しく調べてみたい。
なお、被災前の様子はネットでなかなか探し出せないが、かろうじて北海道小学校校章図鑑(予備.zip)には写真をみつけることができた。それによると、やはり副碑が並んでいたようだ。
その後 地域は整備され、石碑も掘り出されて敷地隅に設置し直された。建築計画が立てばまた敷地内のどこかに移設されるものと思われる。
写真
碑文
教育
発祥の地