三井家 発祥地由来
みついけはっしょうちゆらい
紀勢本線・近鉄山田線 松阪駅から 北西に500m。阪内川に架かる松阪大橋の南に“松阪商人の館”がある。そこから更に100m程南に 「三井家発祥の地」がある。ここは三井家の祖と呼ばれる三井高利の生家跡が保存されていて, 高利の産湯に使ったという井戸や発祥の地の記念碑が建っている。
三井家は 伊勢商人を代表する豪商で, 明治以降に 日本最大の財閥となった。創業者 三井高利は 1673(寛文13)年 松阪から江戸に呉服屋を出店(屋号=越後屋, 後の三越), 現金掛け値なし, 反物は切り売りする などの新しい手法を導入して繁盛した。さらに京都で両替商も兼業し, 江戸時代における三井家の事業の柱となった。
初代高利の死後, 遺産は子供たちの共有とされ, 三井一族の統括機関である「三井大元方」を設立すると共に, 「三井家憲」の下に三井家の固い結束を誇り, 明治以降も続いた。
太平洋戦争後は, 1947(昭和22)年の財閥解体により「同族支配による多角経営」を特徴とする戦前からの企業形態は解消し, 現在の 企業連合体としての三井グループに継承された。
写真
碑文
三井家発祥地由来
松阪の生んだ大商人,三井家の父祖, 三井高利は,1622年この地に生れた 高利は父祖伝来の士魂と母の商才を継 承し幼少より刻苦勉励して当地第一流の 商人となった。1673年に至って宿志を遂げるべく江戸に越後屋呉服店を開店し,以後,三井家は発展を遂げ,江戸, 京都,大阪に呉服店,両替店を経営する わが国商業史に残る大商人となった。高利の定めた三井家の店章 丸に井桁三文 字 は,現在も日本経済の発展に大きく寄与している三井系企業各社に受け継がれている。
当地は,1956年松阪市教育委員会により史跡に指定され,高利の祖父母, 父母の五輪塔,高利「産湯の井」と伝承 される井戸,高利十世者三井高棟の筆に なる記念碑などが在する。