本宮村 教育 発祥之地
もとみやむらきょういくはっしょうのち
盛岡駅の南西 1.5km。 原敬記念館に隣接して本宮地区活動センター(本宮4丁目38-26)があり、北側道路際に碑が建っている。
この地は 盛岡藩の武士だった 太田代直蔵の屋敷跡で, 天保年間から明治初年まで ここで 寺子屋を開いていた。 原敬(第19代総理大臣)は, 5歳から10歳までの約6年間,遠戚にあたる 太田代直蔵の 寺子屋で,近郷農民の子どもらとともに読み書きを学んだ。
本宮地区活動センターは平成19年(2007) に、原敬記念館の隣接地 盛岡市本宮字宮沢99-1 に移動して建て替わったらしく、石碑も一緒に引っ越したようだ。300mほど東に移転してきたので「この地」がどこなのか混乱してくるが、だいたいこの辺りということはわかる。
さらに、平成23年(2011) には住居表示実施に伴い、現住所に改まった。
旧本宮村は 原敬の生まれ郷里で, 昭和16年(1941) に浅岸村・中野村と共に 盛岡市に吸収合併された。
写真
碑文
本宮村
教育発祥之地森岡市長 太田大三書
太田代屋敷の跡
盛岡藩士太田代直蔵先生は, この地太田代屋 敷に寺子屋を開き, 天保十三年から明治四年ま で二十五年間(江戸在勤四年)郷土の子弟の教 育に尽力された。
明治九年五月十六日「校名本宮村学校学科尋 常小学 教員太田代源吉(直蔵養子)同人宅之 内借請」として開設願いが認可されて本宮小学 校が正式に創設された。平成四年一月
盛岡市・本宮村合併五十周年
記念事業実行委員会