「流川文学」発祥の地
ながれかわぶんがくはっしょうのち
旧別府港から西に伸びる流川通り。昭和初期には ここが別府のメインストリートで, ダンスホールなどもあり 流行の最先端をいく“別府の道頓堀”と呼ばれた。また流川通りの裏通りは遊郭があった所で,今も路地には昔の雰囲気を残している。
別府には昔から多くの文人が訪れ,中でも流川通りは小説などの舞台としてよく取り上げられた。これらは「流川文学」と呼ばれ,その代表作に織田作之助の「湯の町」「雪の夜」などがある。
というわけで,ここは著名な作家が住みついて作品を書いた場所というわけではない。「流川文学」とは ちょっと言い過ぎではないかという気もするが,別府は油屋熊八の「旅人をねんごろに」の精神が行き届いた土地柄。まちづくりなども 積極的に行われていて,「流川文学発祥」もその一環なのだろう。
日豊本線の別府駅から 南東に500m。旧大分港(楠港)の跡地にできた 大型ショッピングセンター“ゆめタウン別府”から 通称”流川通り”を西に200mほど入り,さらに南に入った路地の角に “楠町二区公民館・町営 寿温泉”の建物があり,その横に隠れるように この石碑が建っている。
写真
碑文
「流川文学」発祥の地
名作「夫婦善哉」で知られる 織田作之助は「雪の夜」 「湯の町」や「怖るべき女」 など流川界隈を作品の舞台に している。
徳田秋声も「西の旅」で 描写し,明治,大正,昭和初期 には,多くの文人墨客は 別府温泉を訪れ,流川界隈を 作品に残している。平成14年3月 あなたの街の郵便局