中洲 歓楽街 発祥
なかすかんらくがいはっしょう
那珂川と博多川の合流点にある三角形の中島公園(中洲中島町)の縁に、石碑がある。
天保年間(1831年〜1845年頃)に黒田藩は財政立て直しのため、藩札を発行。その流通を目的として、芝居小屋や相撲、茶屋、富くじの興行などが行われる歓楽街を作ったのが中島町浜新地(現在の中洲中島町)で、天保バブルで大いに賑わったとされる。
同公園の北東の隅には、団十郎来演碑もある。
写真
碑文
旧
浜新地 天保五年(一八三四)七世市川団十郎来演 中洲歓楽街発祥
この石材は西鉄市内電車の敷石として使用されていたものであります