日本 マラソン 発祥の地 安中
にっぽんまらそんはっしょうのちあんなか
信越本線 安中駅から西へ2.2km、安中市文化センター(安中市安中3-9-63)の駐車場の道を挟んだ南側の空き地に 2つの石碑が並んで建っている。一つは「安中藩安政遠足之碑」, もう一つが 「日本マラソン発祥の地 安中」碑である。
「安政遠足」は 「えんそく」ではなく「とおあし」と読む。
安政2年(1855) 安中藩主は 藩士の鍛錬のため, 藩士96名に安中城から藩境の碓氷峠まで 約28kmを徒歩競走させた。このときの着時間や着順・氏名は 「安中御城内御諸士御遠足着帳」という古文書に今も残っている。組織的に記録を競う形式の競走を行ったこの
安中市では 昭和50年(1975) から毎年, 「安政遠足」またの名を「侍マラソン」を 開催しており, 武者姿や人気キャラクターなどに仮装したランナーが走ることで有名。
令和になって、国道18号から文化センターへの入口附近にも同内容のバナーが新たに掲出されるなど当地と安中マラソンの結びつきは強固にされているようだが、文化センターがスタート地点だったなどという文書は目にしていない。ただし、文化センターから国道の反対側、旧街道の方に出ると、武家屋敷跡等が点在しており、武士の町であった名残を感じることはできる。
なお、初めてマラソンと名の付く大会が開かれた神戸の地にも発祥碑が建てられた。
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碑文
日本マラソン発祥の地
安中 安政2年(1855年) ときの安中藩主 板倉勝明公は 藩士の心身鍛練を目的として五十才以下の藩士98名を数隊に分け5月中旬より6月初旬にかけ安中城内より碓井峠の北野権現まで七里余の中山道を走らせた
これを「安中御城内御諸士御遠足」という
これは日本におけるマラソンのはじめである