日本における農村医療 発祥の地

にっぽんにおけるのうそんいりょうはっしょうのち

津軽線・奥羽本線・青い森鉄道 青森駅から東南に約2.5km、松原通りから遊歩道緑地に入った所に、ステンレス製の表示が設置されている。碑文は鏡面加工になっていて撮影しにくい(笑)。

稲垣村出身の岡本正志らによって昭和3年(1928) 5月に有限責任東青信用購買利用組合を設立、9月にこの付近にあった建物を借りて「東青病院医療所」が開かれた。

写真

  • 日本における農村医療発祥の地
  • 日本における農村医療発祥の地 碑文
  • 日本における農村医療発祥の地 松原通り側から
  • 松園橋歩道橋を望む

碑文

日本における農村医療発祥の地

昭和3年5月23日、此の地に全国で初めて広域医療利用組合「東青病院(発足当時は産業組合法による有限責任東青信用勾配利用組合)が設立されました。
岡本正志氏(明治から大正に掛けての稲垣村繁田産業組合長をされる)が、「自分達農民の病院を作る」ため、農家からの出資金を集め、組合員を募り、総業病院を設置しました。
発足当時は医師2名、薬剤師1名、看護師3名、事務員等の合わせて12名でした。
農民が医療を満足に受けられない時代に、農民が自らの病院を作ると言う、当時にしては画期的なものでした。
設立当時の経営難を乗り越え、青森県の農協病院として発展しました。
昭和33年には、この東靑病院(青森市)を始め、津軽病院(弘前市)、西北病院(五所川原市)、三八城病院(八戸市)、七戸病院(七戸町)、野辺地病院(野辺地町)、三本木病院(十和田市)、大鰐病院(大鰐町)、金木病院(金木町)、浪岡病院(浪岡町)、大三沢病院(大三沢町)、藤崎診療所(藤崎町)等、1,314の病床数を数えるまでになったのです。
その後、昭和33年に、此の青森県における農協病院は、各市町村へ一括譲渡され、現在の青森市民病院等へ引き継がれています。
この東青病院の協同組合精神による農村医療活動は、全国に広がり、現在、全国厚生農業協同組合連合会の傘下で、農協病院として発展を続けています。
青森県農村医学会30周年を記念して、この「日本における農村医療発祥の地」を設置します。

平成14年11月23日

社団法人 青森県農村医学会
第37回日本農村医学会総会学会 会長 渡部 忍

地図

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青森市松原1丁目 付近 [ストリートビュー]