「青森」発祥の地

あおもりはっしょうのち

以前はレンタルブティックだった場所が、建物は解体されコインパーキングに。

青森市本町2-10

写真


碑文

青森あおもり発祥はっしょう

寛永元年(1624)、津軽二代藩主信枚のぶひらは、森山弥七郎を開港奉行にして、善知鳥村を中心に新しく港町づくりを始めた。
善知鳥村開港決定と同時に、奉行森山は、ただちに町派立に着手した。
善知鳥村と堤川のほとりに点在していた漁村蜆貝との中間に町割(都市計画)をした。
町の区画は海岸線に沿って横に長く、また、八甲田山麓までの湿地帯には、各河川を利用して田畑が拓かれるように考慮した。
表面は商港として幕府の許可を得たが、内容としては、防衛を万全にした町にしたという。
町づくりが開始されるとともに、この開港地の村名が課題になった。旧名のまま善知鳥村とするか、ほかに佳名をつけるかということである。
藩主信枚は、新派立であることから新たな佳名を望んでいたため、奉行森山は「青森」と呼ぶように申し出たという。
当時、善知鳥村の浜辺(旧:米町、元:本町)にハイネズ(ヒノキ科:地元では磯馴松とか浜松とか呼んでいる)の小高い森があった。この森を古くから船乗りたちが「青森」と呼んでいたことから、そのヒントを得た。
末永く栄える意味が内包されていると、藩主信枚にも喜ばれた。以後、青森と名づけることになった。
なお、小高い森は、明治43年(1910)の大火でその跡が消えたという。

The Origin of Aomori

The second feudal lord of Tsugaru, Nobuhira,started the construction of a new port town, centred around the village of Utō. When the time came to name the new town, the name "Aomori" was chosen. This came from the nickname "Blue-green Forest," used by the sailors to describe the surrounding forested hills.

地図

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青森市本町2-10 付近 [ストリートビュー]