織田一族 発祥地
おだいちぞくはっしょうち
北陸本線の鯖江駅から西に15km。織田文化歴史館の南側に“
織田信長を頂点とする織田の一族のルーツは,ここ越前国
戦国時代には一族間の争いがあり 信長が勢力を伸ばしたが,天下統一を目前にして明智光秀によって討たれた。信長の死後 家勢は衰えたが,信長の次男 信雄の子孫および信長の弟の子孫は江戸時代に大名となっており, 明治維新後は4家が子爵となった。
写真
碑文
戦国武将
織田一族発祥地福井県知事 中川平太夫書
戦国第一の武将 織田信長を始めとする
織田一族発祥の地
劔神社と織田一族
日本第一の大武将信長公を始めとする織田一族の発祥の地が,織田の地であることは広く世に知られている。 先祖は劔神社に代々奉仕の神官忌部氏である。室町時代の越前の守護大名は斯波氏である。この斯波氏と織田氏とが主従の関係にあり,応永七年(1400) 時の守護大名斯波義重が尾張の守護を兼任することになり,家臣の織田氏も尾張へ赴き,後守護代として斯波氏に代って統治する。応仁元年(1467)に応仁の乱が起り,戦国乱世へと突入する。織田氏も次第に勢力を伸ばし,ついに尾張の大名となる。戦乱の真只中に一人の傑出した武将が出現する。天下布武を標榜し,乱世の平定に立上り,天下統一を成しとげんとした織田信長である。新時代を創成し,近代日本の基礎を築いた人である。又,劔神社に対する巣敬心は篤く,織田の地を出て百七十有余年,尚一族の氏神と崇め,社領を安堵し,保護している。又,一族の中で特筆すべきは,津田近江守正路なる人である。幕末,鎖国か,開国かで国論が二分する動乱の中,箱館奉行の職で,外国奉行を兼帯し,開国派として積極的に開国を推進し,明治の御代,日本が大躍進をとげる道を開いた一人である。 津田家は信長公の祖父信定公の兄,織田秀敏公(津田玄番頭)を始めとし,代々津田姓を名乗る。徳川時代旗本三千有余石の祿高をうけ,先述の要職の外勘定奉行・大目付を務めた家柄である。昭和五十九年は信長公が,備後守信秀公の嫡男として生れて四百五十年に当り,之を記念し, 織田一族の遺業・遺徳を称え,由縁深い劔神社境内の一角に,戦国武将・織田一族発祥地の石碑を建立し,深いつながりを永久に伝えるものである。
昭和五十九年十月
劔神社宮司緒方教明識
石碑建立寄進 津田近江守直系子孫
東京都中野区 津田正治
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織田信長一族発祥の地
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