沖縄の 稲作 発祥の地
おきなわのいなさくはっしょうのち
遠浅でのどかな百名ビーチの近く、道路から50mほど森に近づいて行くと、森の際に小さな泉がある。これが
今でも旧暦1月の最初の午の日には、
写真
碑文
受水 走水 (神名・ホリスマスカキ君ガ御水御イベ)
ここは沖縄の稲作発祥の地として伝えられている。
『琉球国由来記』(1713年編)によれば、阿摩美久(アマミキヨ)がギライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持ってきて玉城親田、高マシノシカマノ田に植えはじめた。又、伝説によると昔、稲穂をくわえた鶴が暴風雨にあって新原村の「カラウカハ」という所に落ちて死んだ。種子は発芽してアマミツによって受水走水の水田(御稲田)に移植されたという。
この地は東御廻いの拝所として霊域になっていて、旧正月の初午に日には、田植えの行事「親田御願」が行われている。
昭和五二年七月二一日指定
玉城村教育委員会
玉城村は南城市となった