水稲 品種 亀之尾 発祥乃地

すいとうひんしゅかめのおはっしょうのち

陸羽西線 清川駅から 南に8km。県道45号を立谷沢川沿いに南下して,中村の集落の東の山中に 熊谷神社(東田川郡庄内町肝煎丑ノ沢71)がある。神社の境内に「亀之尾発祥乃地」と刻まれた石碑と 「亀の尾」の由来を記した副碑が並んで建っている。

「亀の尾」とは 明治時代に開発された水稲の一品種で,ササニシキやコシヒカリなど 現代の名品種の先祖に当たる品種でもある。その由来は碑文にも書かれているが,阿部亀治 という人物が明治26年(1893)にこの熊谷神社で発見した3本の稲から“冷害に強い”品種として選抜育種された。

明治末期から大正時代にかけて 亀の尾の栽培は全国に拡がり,水稲の三大品種の一つに数えられるほどに普及した。 しかし この品種は害虫に弱く,化学肥料との相性が悪いなどの欠点があって作りにくく,次第に別品種に切り換えられ 廃れてしまった。

昭和45年(1970) ごろになって,新潟県の酒造メーカーが 亀の尾の栽培を復活して日本酒の醸造を試み, 吟醸酒「亀の翁」が誕生した。 その米作り・酒造りの過程が 漫画「夏子の酒」のモデルに取り上げられ, 同名のテレビドラマ化されるなど 注目を浴びた。

写真

  • 水稲品種亀之尾発祥乃地 碑文
  • 水稲品種亀之尾発祥乃地
  • 水稲品種亀之尾発祥乃地

碑文

水稲品種 亀之尾発祥乃地

大蔵大臣 宮沢喜一 書

水稲品種亀之尾由来

嘗て本邦水稲三大優良品種の一つとして推称された亀の尾は余目町大字小出新田の篤農家阿部亀治氏が一九〇一年九月末ここの熊谷神社参拝の砌り此の地に於て当時通称冷立稲がその特性を失い茎幹倒れ或は節折れなどでみるかげもなき状態の中に僅かに三本の稲が茎幹倒れず黄帯の稲穂はみごとにたれて結実しあるを発見深く関心をもち抜きとりて持ち帰り熱心に培養し一九〇五年天候不順のためウンカ大発生に際して極めて軽微な被害だけで意外の豊作を得たるにより爾来「亀の尾」と名づけ漸く外部に拡充しはじめた。その後連年普及し一時は東北地方水田の三割五分は亀の尾となり更に北陸に及び遠く朝鮮にまで普及。一九三四年頃には栽培面積実に十九万五千ヘクタールを数えるに至った。

昭和六十二年九月吉日

前余目町長   富樫義雄 撰文
白山神社宮司  伊藤秀光 謹書
阿部亀治翁顕彰会

地図

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庄内町肝煎 付近 [ストリートビュー]