彦太郎糯 発祥の地
ひこたろうもちはっしょうのち
羽越本線 遊佐駅から北に2.7km、日本海沿岸東北自動車道 E7 遊佐鳥海I.C. から南東に3km、皇大神社(飽海郡遊佐町大字当山字福ノ中236)拝殿の横に碑が建つ。
大正13年(1924)、遊佐町富岡の農家、常田彦吉氏が「山寺糯」という品種から選抜し、4年の歳月をかけて固定させた。このもち米の名前は、常田家の屋号に由来して名付けられた。
彦太郎糯は、耐寒性が強く、病害虫に対しても複合的な抵抗性を持つとされている。また、食味が良いこと、そして餅にした際の伸びの良さや、煮崩れしにくい点が特徴である。
昭和30年代(1960前後) までは広く栽培されていたが、稲の背丈が高いため倒れやすく、コンバインなどの機械作業に不向きであったことから、栽培農家が減少していった。一時は栽培が途絶えかけたが、平成18年(2006) に遊佐町の若手農家の挑戦によって復活した。特に、遊佐町小原田の農業、伊藤大介が鶴岡市藤島の県農業総合研究センター・水田農業研究所から彦太郎糯の種を譲り受け、復活に取り組んだ。
写真
碑文
彦太郎糯発祥の地