沖縄県茶 発祥の地

おきなわけんちゃはっしょうのち

 
撮影:
2014年12月(写真 OLDMANさん)
2019年12月

沖縄道宜野座インターから西に2Km。漢那ダム(かんな湖)の東側に湖畔公園がある。公園の湖を見下ろす小高い場所に「沖縄県茶発祥の地」と刻まれた石碑と、その隣に説明版が建っている。

沖縄は地理的に中国大陸に近いため、早い時期から喫茶の文化が広まっていたが、茶樹の栽培は意外に遅く、江戸時代初期に薩摩からもたらされたものであった。『琉球国由来記』によれば、沖縄におけるお茶の発祥は元和9年(1623)に金武王子朝貞が茶の種子を薩摩から持ち帰り、漢那村に栽植したことに始まるという。栽培された場所は現在はかんな湖の底に沈んでおり、湖を見下ろす公園の一角に発祥碑が建てられている。

沖縄における茶の生産量は消費量に比べて少なく、明治時代に至るまで台湾・中国からの茶の輸入が行われ、昭和初期になって茶の栽培が奨励されるまで続いた。

写真

  • 沖縄県茶発祥之地 案内板 (2019)
  • 漢那ダム合同地主会員 (2019)
  • 沖縄のお茶発祥地 (2019)
  • 沖縄県茶発祥之地 (2019)
  • 沖縄県茶発祥之地 側背面 (2019)
  • 日本のお茶の産地と特徴 (2019)
  • 漢那ダム案内図 (2019)
  • 琉球のお茶発祥地 説明板
  • 沖縄県茶発祥の地
  • 沖縄県茶発祥の地
  • 沖縄県茶発祥の地

碑文

沖縄県茶発祥之地

我国(わがしま)()みむん百薬(ひゃくやく)(まさ)
朝夕(あさゆう)()()しょり
自分(わが)(たみ)になゆさ

琉球りゅうきゅうのおちゃ 発祥地はっしょうち

琉球りゅうきゅうにおけるちゃ栽培さいばいは、1627ねん金武きん王子おうじ朝貞ちょうてい尚豊王しょうほうおう実弟じってい尚盛しょうせい)が薩摩さつまから種子しゅし導入どうにゅうし、金武きん間切まぎり漢那邑かんなむらげん宜野座村ぎのざそんあざ漢那かんな)に栽培さいばいしたのがはじまりとされています。
 このことは、つぎとおり、1713年に琉球王府りゅうきゅうおうふ編纂へんさんした「琉球国りゅうきゅうこく由来記ゆらいき」に記載きさいされています。

当国、茶事、之歟。天啓七年丁卯、尚氏金武王子朝貞、茶種帯来、領内金武郡漢那邑、也。此茶始也。

 琉球王府りゅうきゅうおうふ時代じだい漢那邑かんなむら何処どこちゃ栽培さいばいされていたのか詳細しょうさい不明ふめいですが、古老ころうたちは、福地原内ふくちばるない俗称ぞくしょうである「スンドゥンチ」、「ナゴバル」、「マタグチ」ではなかったかと話しています(げん漢那かんなダム貯水池ちょすいちない)。
 また、1949ねん昭和しょうわ24ねん)、ちゃ栽培さいばい沖縄おきなわ気候風土きこうふうどてきし、栽培用地さいばいようちめぐまれていることちゃ日常にちじょう必需品ひつじゅひんとして需要じゅようがあったことなどから、戦災復興せんさいふっこう自立経済じりつけいざい観点かんてん漢那かんな茶業組合ちゃぎょうくみあい結成けっせいされました。
 しかし、生産量せいさんりょうすくなかったため消費者しょうひしゃ安定供給あんていきょうきゅうできず、また、安価あんか輸入茶ゆにゅうちゃ流通りゅうつうするなど様々さまざま理由りゆう経営不振けいえいふしんとなり、茶園ちゃえんおよび製茶工場せいちゃこうじょう放棄ほうきされました。
 その、1985ねん昭和しょうわ60ねん)、あらたに宜野座ぎのざ茶業組合ちゃぎょうくみあい結成けっせいされ、近代的きんだいてき大型おおがた製茶工場せいちゃこうじょう設立せつりつし、 宜野座村ぎのざそん茶業振興ちゃぎょうしんこう推進すいしんされています。

2012年3月 宜野座村教育委員会

地図

地図

国頭郡宜野座村字惣慶 付近 [ストリートビュー]