王丸氏 発祥之地
おうまるしはっしょうのち
県道56号 福岡早良大野城線 糸島峠から北西に3km、筑肥線 周船寺駅から南東に6km、県道沿いにすこし緑が茂った小さな区画があり、やや小振りながら立派な佇まいな石碑がある。
→ 早良風土記
写真
碑文
王丸氏発祥之地
王丸氏は
嵯峨 源氏にして松浦党中村氏の一族で 文暦(一二三四)の昔からこの地に住して王丸を姓とした。文永年間には源の安 があり、世々この地の名主耺 を継ぎ、その開発に力を盡している。戦国時代は大内氏に属し・星山城の城主となり・中婺 亟種 の時には豊前の馬岳 城や高祖の高祖城を守って功績をたてたこともある。三河守武 の時原田氏と共に毛利氏に与 したが、後には原田氏に属し、天正十五年(一五八七)豊臣秀吉の島津攻めの時に没落し、子孫はこの地に留るもの、他に移るものなど四散するに至った。
この地域は昔の浄光寺の一角で、発掘された五輪塔の一基に「本照憲然禪定門 広永十六年六月十三日」とあつたが、西紀の一四〇九年に当る。毀 れた大木なのは王丸三河守の墓と伝えていた。
この地の人々は王丸様と称して、その霊を慰めるために、毎年八月一六日にお紀りをして今日に至っている。