佐渡おけさ 盆踊 発祥之地
さどおけさぼんおどりはっしょうのち
佐渡島の南端,小木港のフェリーターミナルの近くに黒い石碑が建っている。石碑の脇には「佐渡おけさ十六足踊 発祥之地記念碑」と記された標柱も並んでいる。
自腹で観光案内窓口を開設するなど観光に熱心だった山本楚峯氏は大正時代頃、数ある佐渡おけさ踊りの足の運びが地域等によってまちまちであることに着目。ぶつかりあったりして踊りにくいので、芸能に詳しい知人の協力を得、大正15年(1926)にひと廻りで16足としてまとめた。それを青年団に指導し、やがてそれが島内に広がり、現在まで受け継がれてきた。
そして、佐渡おけさの発祥を伝えることが自らの役目だとばかりに、埋め立てたばかりの小木港と海潮寺に石碑を設置した。海潮寺(佐渡市小木30)にあるという碑は確認していないのでどのような文句が刻まれているのかわからないので、なぜ2つの碑にしたのかもわからない。
「佐渡おけさ」は“郡上おどり”“西馬音内の盆踊”と並んで“日本三大盆踊り”の一つに数えられ,また日本で 最も知名度の高い民謡の一つである。
ハァ~
佐渡へ佐渡へと草木もなびくよ
佐渡は居よいか住みよいか
哀調ある「佐渡おけさ」のルーツは,熊本県天草市(牛深港)に伝わる 陽気な“牛深ハイヤ節”であり,これが北前船などによって各地に伝わり変形したと言われる。
ここ小木港に伝わったものは“小木おけさ”として広まり,それが相川の佐渡金山の鉱夫達に広まって“選鉱場節”として哀愁漂うメロディとなったとされる。“選鉱場節”が“佐渡おけさ”と名前が変ったのは,1921(大正10)年に開催された第2回全国民謡大会からである。
なお“おけさ”という言葉の意味は明らかでない。
写真
碑文
佐渡おけさ会大正十五年七月結成
同年十月公開佐渡おけさ盆踊発祥之地
小木の港は名のあるところ
観光みやげに佐渡おけさ楚峯
佐渡おけさ十六足踊
発祥之地記念碑寄付者 佐渡市小木町(幸町)山本楚峯
昭和四十八年四月