真野村 発祥の地

まのむらはっしょうのち

佐渡ヶ島の中央部・国仲平野の南端。真野小学校の南で,県道189号(阿仏坊新町線)に面して,真野第一保育所に分岐する交差点付近に,県道304号沿い真野ふれあいセンター前に「真野村発祥の地」と書かれた茶色の石碑がある。その隣に副碑も建っている。

真野村は,古代には佐渡国の国府がおかれていた。明治以降の真野の行政区分の推移を見ると,明治22年(1889) に周辺の7村が合併して「真野村」になり,戦後,昭和26年(1951) に町制施行して「真野町」となった。平成16年(2004) に佐渡島の全市町村が合併して「佐渡市」となった。

佐渡は,江戸時代に金山が発見されたため,幕府直轄地として金の採掘で繁栄した。さらに古くは流刑地として,貴族・政治家・文人などを含む多くの罪人が流された。その中には,順徳上皇・日蓮・日野資朝・世阿弥などがある。

順徳上皇は,鎌倉幕府打倒のために“承久の変”を起こしたが失敗,佐渡に配流された。22年間の佐渡在島の後,仁治3年(1242) に死去。真野村に埋葬された。この発祥碑の南東1.5km東へ約650mの地には,順徳上皇の火葬塚“真野御陵”が,また近くには上皇を祀った“真野宮”がある。

写真

  • 真野村発祥の地

碑文

真野村発祥の地

 当地真野は江戸時代以前より真野村と呼ばれていた
 明治22年に竹田,大川,国分寺,阿仏坊,名古屋,吉岡など
経常山麓7村合併で広い真野村になり,
 明治34年には金丸村(金丸,四日街,長石),新町,恋ヶ瀬村
(豊田,滝脇,背合)1町3村及び静平,下黒山と合併して
国仲平野から真野湾沿岸の大真野が誕生した

我々は新世紀を迎え
    先人の愛郷心に感謝しつつ
今後の発展を記念してこの碑を建立する

平成13年(2001)

真野区民一同

地図

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