廣島村 この地に はじまる

ひろしまむらここにはじまる

 
撮影:
2019年10月(写真 まさ・なち さん)

明治17年(1884)に和田郁次郎をはじめとする広島県人が最初に集落を形成したのが、現在の道道江別恵庭線と輪厚(わっつ)川の交わるあたりだったという。昭和39年(1964)、開拓80年を記念して、和田郁次郎氏邸跡地に記念碑が建設された。台座部分には「この地にはじまる」と刻まれている。

道路整備等の影響で、開拓100年の昭和59年(1984)に、南方約400mの場所に新たに作られた開拓記念公園内に碑や樹木等が移設された。

それにしても、北海道開拓であの薄着はちょっと寒そうですね。

参考・北広島市予備.pdf

写真

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碑文

廣島村
この地に
はじまる

文部大臣灘尾弘吉書

廣島村開村80周年記念

3. きたひろしまのはじまり

広島県人和田郁次郎は北海道開拓を志し、明治15年に渡島、後志方面の適地調査のため来道しましたが、気候風土が適当でなかったため、いったん帰郷、翌16年再び同志とともに来道し、札幌郡内の土地の調査をおこない、月寒村のうち、北はシュプンベツ川から南はシママップ川に至る野幌原野を開拓予定地として土地の貸下げを申請、輪厚川流域を中心に年末までに開拓移住者受入れのための小屋掛けなどの準備をおこないました。
そして明治17年(1884)、現在の東部地域に広島県人の第一陣(5月18戸)、第二陣(8月7戸)合わせて25戸103人が移住し、本格的な開拓が始まりました。その後この開墾地は、広島県をはじめ本州各地から個人で移住する者が増加し、広島開墾地と呼ばれるようになりました。

和田郁次郎(1847〜1928)

和田郁次郎は、弘化4年(1847)旧広島藩安芸国沼田郡段原町村(現在の広島市南区段原町)の山田加津平の三男として生れ、のち同郡竹屋村の和田家を継ぎ名を郁次郎と改めました。

おもなできごと
明治22年(1889)
江別恵庭間の道路が開通した。
23年(1890)
札幌道路(東橋から白石村を経て広島まで)がでいた。
25年(1892)
広島簡易教育所ができた
26年(1893)
廣島村の設置が決定した。
広島郵便局が開局した。
27年(1894)
広島村戸長役場が2月10日から開庁した。
41年(1908)
開村25年記念式を行い開村記念碑を広島神社に建設した。
大正15年(1926)
鉄道が開通し、北広島駅が開設した。
昭和15年(1940)
広島市街地に大火が発生した。
16年(1941)
道道札幌夕張線が全線開通した。
22年(1947)
東部と西部に新制中学校ができた。
43年(1968)
9月1日町制を施行し広島町が誕生した。
45年(1970)
道営北広島住宅団地が起工した。
59年(1984)
ひろしま100年の記念式典が行われた。
平成8年(1996)
9月1日市制を施行し北広島市が誕生した。

地図

地図

北広島市 開拓記念公園 付近 [ストリートビュー]