埼玉県名 発祥之碑

さいたまけんめいはっしょうのひ

 
撮影:
2005年12月(写真 H.O.さん)
2023年1月

秩父鉄道 行田市駅から 南東に3km。県立さきたま古墳公園にあるさきたま資料館近くに 自然石で作られた大きな石碑が建つ。すぐ東側には なだらかな曲線を見せる「瓦塚古墳」が見える。

さきたま古墳公園は, 東日本最大の古墳群を中心に整備された公園で,昭和51年(1976) に開設され 30万㎡の面積がある。園内には「丸墓山古墳」(日本一の面積の円墳)をはじめ 9基の古墳があり,国の史跡に指定されている。

明治4年(1871), 廃藩置県によって 埼玉県(県庁所在地:岩槻)と入間県(同:川越)ができた。
明治6年(1873) 入間県は群馬県と合併し 熊谷県と改められた。
(現在の群馬県とは区域が違う。県庁所在地:熊谷)
熊谷県の群馬部分が群馬県となり、明治9年(1976), 埼玉県と熊谷県が合併し 現在の埼玉県になり,明治23年(1890) になって 埼玉県の県庁所在地は 浦和になった。

この地には古くから「埼玉(さきたま)」という地名が存在しており、『万葉集』にも「さきたま」と詠まれた歌が収録されている。

この「埼玉さきたま」の地名が、やがて郡名となり「埼玉郡」が成立した。これは、当時の武蔵国における中心的な役割を担う地域であったためと考えられる。

明治維新後、日本は廃藩置県によって大きく行政区画が再編された。明治4年(1871) に岩槻県、忍県、足利県、笠懸県、館林県、岩鼻県の一部を統合して「埼玉県」が誕生した。この際、旧埼玉郡の領域が広範囲にわたっていたこと、そして歴史的な知名度があったことから、新設された県の名前に採用された

写真

  • 埼玉県名発祥之碑
  • 埼玉県名発祥之碑
  • 埼玉県名発祥の地 背面
  • 瓦塚古墳 説明
  • 瓦塚古墳
  • さきたま古墳公園 説明
  • 埼玉県名発祥之碑(2023)
  • 埼玉県名発祥之碑(2023)
  • 埼玉県名発祥之碑(2023) 碑文
  • 埼玉県名発祥之碑(2023) 背面
  • 埼玉県名発祥之碑(2023)
  • 埼玉県名発祥之碑(2023)
  • 埼玉県名発祥之碑(2023)

碑文

埼玉県名 発祥之碑

埼玉県知事 畑 和 書

埼玉県名の由来

 明治4年11月14日, 現在の県域に「埼玉県」と「入間県」を設置するとの太政官布告が出された。これが埼玉県の誕生である。以後, 幾度かの変遷を経て,明治9年8月に現在の埼玉県の区域が定まった。「埼玉」が県の名称とされたのは, 当初の県の管轄区域の中で, 最も広いのが, 埼玉郡であったことによる。
 埼玉郡は, 律令による国郡制度が発足した当初から設置された郡とみられ, 当初は前玉(さきたま)郡という表示も行われ, 正倉院文書神亀3年(726)の山背(やましろ)国戸籍帳には「武蔵国前玉郡」の表記が見える。また, 延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「前玉神社ニ座」とある。
 ここ行田市埼玉(さきたま)の地は, 巨大古墳群の所在地であり, また「前玉神社」の鎮座する場所でもある。おそらく埼玉郡の中心地であったと考えられるので, ここに碑を建て, 県名発祥の記念とする。

昭和62年4月

埼玉県

地図

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