「三太物語」発祥の地
さんたものがたりはっしょうのち
中央本線 相模湖駅から南東へ7km、相模湖から津久井湖へ繋がる相模川に道志川が合流しようとする複雑な地形の旧橋のたもとに、道志川末端の案内図と三太物語についての説明が1枚の看板となって設置されている。
国道412号の現道である道志橋の西側下方に見下ろす場所。三太物語のロケ地となった三太旅館からは道志川沿いに約1km。
写真
碑文
「三太物語」発祥の地
1、はじめに
大正末期に三太の祖父“仙爺”のモデルといわれている鈴木浜太郎氏(1869 - 1939)の隠居所として釣り宿が始まり、「渓流の宿」といわれ、その後、神保敏夫氏・カツ子氏氏(浜太郎の末娘)が引継ぎ、昭和24年(1949) に三太旅館と名称を変更する
2、旧道志橋について
大正13年(1924) にこの地に鉄橋が架けられ、橋床は木製のため、昭和27年(1052) に床のみ鋼床板に取り替え、津久井湖完成に伴い旧道志橋は昭和39年(1964) 撤去され、現在の道志橋に変わる
3、青木茂氏 (1897 - 1982) について
- 明治30年(1897) 東京麻布本町(現在の南麻布)で生まれる
- 幼少期は病弱で、9歳で姉と共に、芝高輪で洗礼を受ける
- 明治43年(1910) 中学2年の時、体調不良で退学し、逗子市と千葉県館山市に転居し、勉学は独学で絵画・文学・医学・有機化学等を学ぶ
- 昭和5年(1930) 34歳の時、津久井からの養蚕見習生が寄宿し、その縁で、道志橋でキャンプを行う(鈴木浜太郎氏との接触)
- 昭和57年(19829) 84歳、千葉県館山市で逝去するまで三太旅館を中心に、短編67巻を発表する
4、「三太物語」の放送・放映
- 昭和25年(1950) 「三太物語」NHKラジオから放送
- 昭和26年(1951) 「三太物語」新東宝から放映
- 昭和27年(1952) 「三太と千代の山」新東宝から放映
- 昭和28年(1953) 「三太頑張れ!」新東宝から放映
- 昭和36年(1961) 「三太物語」フジテレビから放送
津久井中央地域観光振興推進部会(津久井中央地区まちづくり協議会)