西洋果樹 発祥の地
せいようかじゅはっしょうのち
平成30年(2018) にオープンした道の駅なないろ・ななえ(七飯町峠下380-2)にモニュメントがある。
慶応3年(1867) に、プロイセン(現在のドイツ北東部)のライノルト・ガルトネルは、西洋式の農法等を伝えるために函館から近い七重村(当時)の土地1500坪を開墾する許可を箱館奉行から得た。しかし翌年に江戸幕府は無くなり計画はストップ。すぐに箱館府が設置され、新たに話し合いがもたれ、開墾計画は再始動。
その年の内に箱館戦争が始まり、箱館府は撤退、蝦夷島政府と再び交渉し、明治2年(1869) には300坪の土地を99年間貸借し西洋農法伝授等の蝦夷地七重村開墾条約書が取り交わされた。
更に、明治政府は函館奪還に動き、箱館府が再設置されると、またも交渉し、今度は期限の無い契約が取り交わされることとなった。
このことから、七飯町は西洋農業発祥地であることを主張しており、いくつかの品種の内のりんごやさくらんぼ、西洋梨もその中に含まれている。その他には、アルファルファやクローバー等の牧草、牛や馬、豚などの家畜などが伝えられようとしていたが、ここから植民地化されることを恐れた明治政府は明治3年(1870) に賠償金を支払って契約を破棄、農地は数年後に七重開墾場として活用された。ガルトネルによって植えられたりんごの木や、持ち込まれた農具等も引き継がれた。
写真
碑文
西洋果樹発祥の地
since 1869
七飯町
NANAE TOWN
西洋果樹発祥の地
- 一八六九年
- R.ガルトネルが榎本武揚らと「蝦夷地七重村開墾条約書」を交わす。西洋式農法を広めるとともに、西洋リンゴ・ブドウ・サクランボなどの栽培を始める。
- 一八七〇年
- 七重官園設置。R.ガルトネルが持ち込んだ農機具・家畜・西洋作物を引き継ぐ。
- 一八七二~一八七六年
- 七重官園で、日本でのリンゴの基幹品種である「紅魁」「紅玉」「国光」の苗木をアメリカ・カナダなどから取り寄せる。
- 二〇一一年
- 北海道七飯町の高級ブランドリンゴ「ななみつき」が生まれる。
- 二〇一九年
- 西洋リンゴなどの栽培から一五〇年。
- 二〇二〇年
- 七重官園設置から一五〇年。