芝浦工業大学開学の地

しばうらこうぎょうだいがくかいがくのち

京浜東北線 田町駅から南東に300m、芝浦工大ビル(港区芝浦3丁目9-14 )の西の歩道(公開空地)に看板が表示された。このビルはNECネッツエスアイの本社が入居し、NECネッツエスアイ本社ビルと表示される。

この建物は芝浦工業大学 芝浦キャンパスだが、学校自体は令和4年(2022) にデザイン工学部・法人事務部・校友会事務局が豊洲キャンパスに移転した。おそらくそのタイミングで「発祥地である」という証を残したものと思われる。ただし芝浦工大ビルの所有はしていて、「建学の地」を残しつつ教育研究活動、施設計画の基盤となる収益事業を実施し、大学運営の基盤となる安定的な収入源を確保するとのこと。

東京工業大学は、昭和2年(1927) に東京高等工商学校が設立され、東京府荏原郡大森町(現 大田区)に大森校舎が開校した。9月には現在芝浦工大ビルがある場所のアメリカンスクールの校舎を借りて、第二校舎が開校。これが芝浦校舎。昭和4年(1929) には商業学科が廃止。

この年、一部の教員・学生が離脱して武蔵高等工科学校を設立(その後の武蔵工業大学を経て、東京都市大学へと発展)。

昭和8年(1933) 大森校舎閉鎖。昭和11年(1936) 芝浦キャンパスにRC造の本館が建設された。昭和20年(1945) 東京大空襲により木造校舎焼失、RC造の本館は焼け残る。焼けた校舎が復興されたり新校舎が建設されたりしたが、平成18年に豊洲キャンパス開設。平成21年(2009) に芝浦工大ビルが建設された。

そして令和4年(2022) に豊洲キャンパスへ移転して貸しビル化した。

写真

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碑文

芝浦工業大学開学の地

芝浦工業大学は、一九二七年に有元史郎によって東京高等工商学校として創立されました。
同年、芝区(現港区)の旧アメリカンスクールを校舎を借用し、第二校舎(芝浦校舎)としてこの地に開校。校舎は、当時としては珍しいモダンな佇まいであったため、後に校歌の一節にもなった「白亜の殿堂」と呼ばれ親しまれました。
当時の文書には「校舎の階上から東京湾の船の往来が見渡せた」という記述もあり東京工商学校の学生たちが景色を眺めながら、未来の夢を語り合ったことが覗えます。
芝浦工業大学は、今日に至るまで、この地で歴史を刻んできました。
これからも「社会に学び、社会に貢献する技術者の育成」を建学の精神として、社会に技術者を輩出していきます。

地図

地図

港区芝浦3丁目 付近 [ストリートビュー]