曽我自修学校 発祥の地
そがじしゅうがっこうはっしょうのち
御殿場線 下曽我駅から北西に約1kmの地点に, 曹洞宗 瑞雲寺 がある。寺の入口を入ってすぐ左側に, 大きな石碑と 説明板が建つ。
曽我は小田原市北東部の地区にあって, かつては“曽我庄”と呼ばれ, 仇討ちで有名な“曽我の五郎・十郎”が育った場所である。兄弟の墓など 多くの史跡が残されている。
また この地は 梅の名所としても有名。ここの梅は 梅干用の梅の実を採るために植えられたもので, 中河原・原・別所の各梅林には 約3万5千本の梅があり, 毎年2月頃になると 梅見の客で賑わっている。
写真
碑文
自修学校発祥の地
第一回卒業生 下沢英俊
自修学校は明治四十三年七月校長大井龍跳先生に依って此の地に創立され大正十五年瑞雲寺東方台上に移り後湘北中学校湘北高等学校向上高等学校と改名発展した本校に学んだ夛くの青年は質実で剛健且つ積極性に富み夫々の耺場に或は郷土に於ける中心人物となり常に発展𛂜先駆者となった此𛂜度創立七十周年を記念して母校発祥の地を後世に伝うべく此𛂜碑を建てた
昭和五十六年二月十一日
自修学校在学者有志一同
自修学校在学者有志
(芳名略)
曽我 自修 学校 発祥の碑明治時代, 小学校の制度は全国的に普及したものの, それより上級の進学は不可能に近い状況が多かった。瑞雲寺二一代
龍跳 和尚 は, この不備を救うため寺の本堂でこの地域の青年を教導し, やがて明治四三年, ここで校舎の建設に着工した。自修学校と称し, 落成は, 大正二年二月であった。教科は修身・国語・ 漢文・英語・数学(代数・幾何)・珠算 など, 後の旧制中学校三ー四年程度を教えたという。
大正一五年, 規模を拡大するため東方の台 地上に移転し, 後に校名は湘北中学校・湘北 高等学校・向上高等学校と改名した。明治・大正・昭和にわたり, この私学の果たした地域への貢献はまことに大きかった。小田原市教育委員会
曽我自修学校発祥の碑
小田原市ふるさと文化基金
平成五年一月設置