水道 発祥の地
すいどうはっしょうのち
阪急電鉄宝塚線 豊中駅の東700m。豊中水道局の敷地内の植込みの中に「水道発祥の地」と刻まれた 自然石の石碑がある。碑は植木に半分以上隠れていて, 実は「水道」の文字は全く見えない。 木が密集しているので かき分けることもできない。どうやら植木が大きくなるのにまかせて いるうちに 石碑が埋没するような形になってしまったらしい。
かつて この地域は水が乏しく 生活用水は井戸水に頼っていた。 水質が悪く 汲んだ水を濾過しないと飲めない程で 衛生上の問題もあった。さらに人口の増加によって湧水量も減少してきたため, 大正末期から水道敷設の議論が重ねられ, 現在水道局の庁舎があるこの地に 深井戸を掘り, ようやく水を得ることができた。
これを基に水道を敷設し, 豊中村が豊中町に移行した昭和3年(1928) に, 給水人口 1.5万人で 給水を開始した。その後 町域の拡大に合わせて給水量も増加し, 猪名川からの取水などにより現在は豊中市の人口40万人に水を供給している。
その後、植木は整理されたようだ。
写真
碑文
水道発祥の地
発祥の由来
大正十二年四月,豊中村議会において上 水道敷設の議起こり,水源を深井戸に求めることにしてこの地に試さくの結果,一日一千八百立方米の水量を得ることが可能と なった。
これに基づき 昭和二年五月創設事業に着手。昭和三年六月に通水を開始したのが豊中市水道事業の始まりである。
水道発祥之地である,ここ第一水源地跡に水道局庁舎が竣工したことを記念してこの碑を残すものとする。昭和五十五年七月吉日 豊中市長 下村輝雄