寺方 提灯踊 発祥之地
てらかたちょうちんおどりはっしょうのち
大阪地下鉄 今里筋線 清水駅の東600m。守口第二中学校から200mほど西に行ったあたり, 狭い道を南に入り込んだ所に, 「喜左衛門記念碑」などと並んで建っている。
寺方提灯踊りは, 守口市に江戸時代から続いている郷土芸能。 発祥の年代は文化・文政年間(1800年代の初めごろ)より前からあったようで, もとはどこにでもある盆踊りが変化してきたものと言われる。片手に提灯を持った独特の踊りは 全国的にも珍しいもので, 一説によると, 「幕府の許しを得ないまま“排水樋”を築いて処刑された 庄屋喜左衛門」の遺徳を偲ぶために始められたとされる。
この提灯踊りは, 第二次世界大戦を境に中断されていたが, 昭和46年(1971) に「寺方提灯踊保存会」を結成し, 復活を果たした。復活に際して, 踊りは 戦前からの踊り手であった二人の古老の指導を得て引き継がれたが, 音頭・囃子については 継承する人がいなかったため, やむなく河内音頭の最も古い流れをくむものを基本とした“寺方節”が使われている。
寺方提灯踊りは平成12年(2000) に守口市の無形民俗文化財に指定され,毎年7月に 守口市駅前において提灯踊り大会が開催され踊り継がれている。
写真
碑文
寺方提灯踊発祥之地
森口市長 喜多洋三
寺方提灯踊の由来
旧南寺方地区には, 古くから寺方提灯踊と云う全国的にも珍しい踊りがあります。江戸時代の文化・文政(一八〇四~一八三〇)の頃には, 既に踊られていたと文献に記されています。踊りは一子相伝と言い伝えられ, 他村に漏れる事を恐 れ納屋の奥等で練習し, 秘伝伝授の踊りとされていました。一説には庄屋喜左衛門の遺徳を偲び, この報恩と霊を弔うために踊られたとも伝えられています。
この踊りは素手で始まり, 途中から紅提灯を左手に持ち, その提灯の灯を消さないところに特徴があります。
寺方提灯踊は, この度, 平成十二年十二月十九日守口市より無形民俗文化財第一号に指定されました。平成十三(二〇〇一)年三月十五日
守口市無形民俗文化財
寺方提灯踊保存会
喜左衛門紀念碑
旧寺方庄一帯は, 低湿地帯のため排水の便が悪く, 少 しの雨でも村民は悪水に悩まされていました。
村民は, たびたびこの地に樋をも設けることを幕府に願 い出ましたが認められなかったため, 寛永十一年(一六三四) 庄屋喜左衛門は「一身を殺して十数か村民の命を 救う, 死もまた足れり」と意を決し, 独断で焼野村(現 大阪市鶴見区焼野町)の北方に樋を築き水害を一掃しま した。樋はそのままに設けられましたが, 喜左衛門は, 幕府の命令を無視したとして翌年三月十五日に処刑され ました。
村民は, この喜左衛門を慕って明治十五年ここに記念 碑を建立しました。
(以下略)平成二年三月
守口市教育委員会