東京 水道 発祥の地

とうきょうすいどうはっしょうのち

新宿の超高層ビル群のある一帯は, かつて淀橋浄水場があった場所である。高層ビルの一つ新宿住友ビルの敷地の片隅, 西側の赤煉瓦の壁に 写真に示すプレートがはめ込まれている。プレートだけでは 存在感がないためか, 横には かつて浄水場で使われていた 大きな止水弁が展示されている。


三角ビル(新宿住友ビル)の周囲を取り囲む三角広場は、令和2年(2020) にリニューアルが完成し、3200㎡を超える全天候型イベントスペースへと姿を変えたが、止水弁は変わらず北側の三角広場西側の隅にある。プレートは壁から剥がされて、止水弁の前に再設置された。

写真

  • 止水弁
  • 東京水道発祥の地
  • 東京水道発祥の地 碑文
  • 止水弁
  • 三角広場(西)南側から(2022)
  • 東京水道発祥の地(2022) 碑文
  • 東京水道発祥の地(2022)
  • 東京水道発祥の地(2022)
  • 止水弁(2022)
  • 止水弁(2022)
  • 三角広場東側から(2022)

碑文

東京水道発祥の地

首都東京, この大都市の発展のかげには, 古くから その生活をささえる 水の確保に大変な努力がはらわれてきた。
すでに300年も前の 江戸時代初期(1654年), ふくれあがる江戸の水不足をまかなうため, 玉川上水が開かれ, 江戸から おおよそ50キロメートルも離れた羽村から 玉川の水が市中に引かれた。
時は変わって明治となり, 首都が東京に移されるや 発展する都市に不可欠な 近代水道の建設が急務となった。
そして, 明治23年(1890年), ここ 旧東京府南豊島郡淀橋町に 34万平方メートルの敷地を求め, 玉川上水によって導かれた多摩川の水を ここで沈でん・ろ過のうえ, 200万人の市民に上水を供給できるという, 当時としては, 画期的な規模の 淀橋浄水場が建設されることとなった。
明治31年 その一部が完成し, 神田, 日本橋地区へ給水が開始され, ここに東京の近代水道が誕生した。
以後, 明治, 大正, 昭和と東京の歴史とともに歩み続けた 淀橋浄水場は, 昭和40年(1965年) 東村山浄水場にバトンを渡し, 給水開始以来 60数年の歴史を閉じ, その跡地は, 新しい東京の象徴ともいうべき 超高層ビルの街に生まれ変ることとなった。
ここに展示されているものは, 内径1,000ミリメートル蝶型弁といい, かつて 淀橋上水場で使用されていたものである。
東京は, 今, この超高層ビルの街が象徴するように, ますます発展しようとしている。 そして, この大都市が必要とする水も, 遠くはるか20キロメートルも離れた 利根川上流にまで求めている。
ここに展示された蝶型弁から, かつてここに都民の水をかなかうため, 満々と水をたたえた浄水場のあったことを, 想いおこしていただき, あわせて 大都市における水が いかに大切なものであり, またその確保が大変困難なものであることをご認識いただれば, はなはだ幸いです。

1974.4 元東京都水道局長 元淀橋浄水場長 小林重一

地図

地図

新宿区西新宿2丁目 付近