四谷鮫河橋 地名 発祥之所

よつやさめがはしちめいはっしょうのところ

中央本線 四谷駅から 迎賓館正面右の道を塀沿いに下ると, 道の右側に「みなみもと公園」がある。 この公園の南の角を北西に曲がると, 公園を背にして 赤い鳥居と小さな祠が見える。この狭い稲荷社の敷地内に 自然石に「四谷鮫河橋地名発祥之所」と刻まれた碑がある。

「鮫河橋」は「鮫ヶ橋」とも表記される。かつてこの辺りは 低湿地帯で“鮫河”という川が流れており, そこに“鮫河橋”が 架かっていたと言われるが, 今はその痕跡すらない。

日本の下層社会』という本によると, 明治期の東京の三大貧民街として 四谷鮫河橋・芝新網町・下谷万年町 が挙げられている。 『鬼平犯科帳』にも“夜鷹の名所・鮫ヶ橋”と書かれている。もちろん 今はその面影は少しもないが, 「鮫河橋地名発祥」には そういう背景を知らないと 意味不明だろう。

写真

  • 四谷鮫河橋地名発祥之所(2004)
  • 四谷鮫河橋地名発祥之所(2004)
  • 四谷鮫河橋地名発祥之所
  • 四谷鮫河橋地名発祥之所
  • 四谷鮫河橋地名発祥之所 歌
  • 四谷鮫河橋地名発祥之所

碑文

四谷鮫河橋地名発祥之所

沙美津川
  千どり来なける古の
    星の名ごりを伝う石ぶみ

昭和五拾年参月吉日建之

建碑主  長尾登女
詞と字  長尾保二郎

地図

地図

新宿区南元町 付近 [ストリートビュー]