東京 盲唖学校 発祥の地
とうきょうもうあがっこうはっしょうのち
国立がんセンターの北東側に中央区立 市場橋公園(中央区築地4丁目15-2)がある。公園の南側半分は観光バスの駐車場,北側は児童公園になっているが,その北端に「東京盲唖学校発祥の地・日本点字制定の地」と書かれた,茶色の御影石製のずんぐりした形の石碑が建っている。
日本の視覚・聴覚障害者に対する教育は,京都と東京において ほぼ同時期に始まった。
明治6年(1873), 京都の待賢小学校内で聾唖教育が開始された。数年後には盲教育も始まり,後に「京都府立聾唖学校」となった。
東京においては,明治8年(1875) に“楽善会”という篤志家グループによる盲人教育施設を設立する運動が始まり,明治13年(1880) に「楽善会訓盲院」が開校,聾教育も行われるようになった。明治17年(1884),校名を「東京訓盲院」と改めたが経営困難となったため,明治18年(1885) 文部省直轄となり「東京盲唖学校」と改称。
]戦後 東京教育大学の附属校となり,現在は「筑波大学附属視覚特別支援学校」「筑波大学附属聴覚特別支援学校」となっている。
視覚障害者が触覚で読む字“点字”は,一般に横2×縦3の6つの点で表される。日本では,明治23年(1890) に東京盲唖学校の石川倉次によって 6点式点字が考案され,これが“日本点字”として制定されて,国内で広く使用されるようになった。
写真
碑文
東京盲唖学校発祥の地
日本点字制定の地1879(明治12)年 ジョサイア・コンドル設計による校舎完成
1880(明治13)年 楽善会訓盲院として開港
1887(明治20)年 官立に移管 東京盲唖学校と改称
1890(明治23)年 日本展示制定
2010(平成22)年 11月1日建之筑波大学附属視覚特別支援学校
筑波大学附属聴覚特別支援学校
記念碑実行委員会