わかめ 養殖 発祥の地
わかめようしょくはっしょうのち
大船渡線 碁石海岸口駅から南東に約4km、碁石海岸を見下ろす民宿海楽荘の敷地内に、石碑が立つ。
岩手県大船渡市末崎町は、わかめ養殖発祥の地として知られている。発祥の中心人物は小松藤蔵で、昭和28年(1953) に天然わかめから人工的に種苗を採取する技術を考案し、昭和32年(1957) にはわかめの養殖に成功。
この技術革新により、天然資源に依存せず計画的な生産が可能となり、三陸沿岸を中心とするわかめ産業の発展に大きく貢献した。顕彰碑は碁石海岸へ向かう途中の海岸沿い、民宿「海楽荘」の敷地内にあり、平成19年(2007) 5月4日に除幕された。
碑文には小松藤蔵の功績と、地域漁業への貢献を讃える内容が刻まれている。この地が発祥の地とされるのは、単なる採取技術の確立にとどまらず、わかめ養殖の商業的成立と普及がここから始まったことに起因する。大船渡市はその歴史的意義を広く発信し、観光資源としての活用も進めている。
石碑の表面にはわかめの模様があしらわれており、たいへんユニークで、わかめの主張がわかりやすい。
- 大船渡市末崎町の今昔&未来へ
http://mucha18.blogspot.jp/2011/07/nhk.html - 民宿 海楽荘
http://park10.wakwak.com/~kairakusou/
写真
碑文
わかめ養殖発祥の地
わかめ養殖の碑
三陸海岸の浜の幸である養殖わかめは春の到来と共に人々に恵みを与える このわかめ幼少発祥と企業化を語るときその先駆者として小松藤蔵氏を挙げなければならない 氏は大正五年十月一日気仙郡末崎村門之浜に生まれ尋常高等小学校卒業紅顔十四歳にして漁業に志をたてる 戦後の疲弊した漁村の苦難にあえぐ漁民の暮らしを打 開するため昭和二十八年私財を投じ 特に天然わかめからの人口採苗方法を考案しあらゆる困難と試行錯誤の結果昭和三十二年企業化成功を果たした
また冊子「わかめ養殖方法について」を自費刊行 三陸沿岸を普及行脚し将来大量生産時代到来を予測 自ら先頭に立ち販路拡張のため日本各地を奔走した 氏の生涯はひたすら漁民と共に喜び悲しみ分かち合い 私を去り 公に奉仕され名実共に斯界の賞賛を集め末崎漁業協同組合 組合長理事等多くの要職を歴任される よって我らは個人の遺徳を偲びてその業績をとこしえに伝えるため漁民有志に相諮って わかめ養殖魚場を一望できるこの地に顕彰の碑を建立するものである