八女茶 発祥之地

やめちゃはっしょうのち

鹿児島本線 羽犬塚はいぬづか駅から東に25km。八女市の市街地から国道442号と県道797号で黒木くろぎ地区に入ると,お茶の里記念館横に霊巌寺の入口がある。急な坂を上ると本堂前の左側に古い石碑がある。また本堂右側には 周瑞禅師の銅像がある。

「八女茶」とは福岡県内で作られたお茶のブランド名で,栽培は八女市内を中心に周辺地域に広がっている。日本の茶の主な産地は,静岡茶・狭山茶・宇治茶・伊勢茶・鹿児島茶などがあって,八女茶の生産量は全国第6位,シェアで約3%だが,玉露の生産量は日本一で 50%近いシェアを有し,そのため平均単価も日本一高い,高級茶の生産地である。

室町時代の応永13年(1406) に明国より帰国した学僧・栄林周瑞えいりんしゅうずい禅師は.この地に霊巌寺を建立し,持ち帰った茶の実を分け与えて 茶の釜炒製法と喫茶法を伝えた。これがこの地方の茶の起源(八女茶発祥の地)とされている。

霊巌寺にある周瑞禅師の像には,八女茶の発祥について 次のような碑文がついている。

八女茶の始祖 大恩人 周瑞禅師

 禅師は約六百年前 出羽の国(秋田県)に出生された。
 全国禅林より選ばれ 明国(中国)蘇州の名刹・霊巌寺に留学されたが,その時代は秋田から長崎までの陸路行脚と 長崎から海路数千キロに及ぶ黄濁荒波を乗り越えての渡明で,想像を絶する艱難を冒しての大偉業であった。
 帰国後 各地巡錫行脚の途次 留学の地・蘇州霊巌寺を彷彿させる此の地に奇縁を感じられた禅師は 時の黒木城主より寺領十町歩(十万平方メートル)の寄進を受け 寺院を創建 ゆかりの霊巌寺と命名 開山し住職となられた。
 禅師は帰国時に持帰えられた茶の種を寺領で栽培製茶し 薬用として檀家の人々に恵与されていたが 後に 郷土・松尾太郎五郎久家に栽培と製茶の技法を伝授された。
 これが往時の鹿子尾茶 現在の八女茶の始まりである。
 今日 八女茶の名声と愛飲は全国に波及し 最上質茶としての確固たる地位を獲得,当地方の茶生産者及びその関連業者は等しくその恩恵に浴し盛業の中にある。
 先祖代々 此の地において茶生産に携わり大恩を享受した者の一人として 禅師の御遺徳に心より感謝し 八女茶の隆昌発展の守護仏としての永遠の御加護を記念し 本像を報恩建立する。

平成三年十月二十日(西暦一九九一年)

黒木町笠原 鹿子尾茶生産者 田中敏晴(到齢八十)

八女やめ黒木くろぎ町は、平成22年(2010) に周辺町村と共に隣接する八女市に編入された。地名は八女市黒木町◎◎と、「黒木町くろぎまち」を残した表示となっている。

写真

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  • 八女茶発祥之地:茶祖周瑞禅師遺株

碑文

八女茶発祥之地

地図

地図

八女市黒木町笠原 付近