日本最初の 幼穉遊嬉場
にっぽんさいしょのようちゆうぎじょう
京都市営地下鉄東西線 京都市役所前駅から西200m。市立京都御池中学校(中京区柳馬場通御池上ル虎石町45-3)の前に「日本最初小学校
碑に書かれた“穉”の文字は“稚”の異体字で, 明治初期の幼稚園の呼び方だったらしい。明治5年(1872) に 学制が発布され, 全国に大学から小学校までを設けることになったが, 幼児教育に関しては 小学校の一種として「幼稚小学」と定義された。これは規定のみで実際に設置されることはなかった。
全国に先駆けて小学校の設置を進めていた京都市は, 明治8年(1875) に 柳池小学校内に「幼穉遊嬉場」を開設した。これは ドイツの幼稚園を模範としたものといわれ, 学制に基づく“幼稚小学”ではない。しかし,この幼稚園は時代に合わなかったせいか あまり受け入れられず,わずか1年半で廃止された。 その後, 昭和4年(1929) になって再開され , 平成8年(1996) に 日彰幼稚園・生祥幼稚園 など 6つの幼稚園と統合され, 現在は「中京もえぎ幼稚園」となっている。
平成30年(2018) 以降、円錐状の突起物の姿が見られなくなった。
令和5年(2023) に訪問したら、円錐突起は存在した。銅板プレートは錆びなのか黒くなっている。
写真
碑文
日本最初の幼穉遊嬉場
京都市立 柳池幼稚園記念碑
開園 明治8年12月
閉園 平成8年3月