養魚 発祥の地

ようぎょはっしょうのち

現存せず
撮影:
2008年9月(写真 H.O.さん)
2021年10月

東武 伊勢崎線の羽生はにゅう駅から東に5km。東北道 羽生I.C. の東側に隣接する羽生水郷公園の北東の一角に さいたま水族館(羽生市三田ケ谷751-1)がある。水族館の建物に入ってすぐ左側,事務所の入口横に 「養魚発祥の地」と書かれた プラスチック製の案内パネルが掲示されている。

ここ水郷公園の周辺は 利根川の流域で,沼や湿地帯が広がっている。米などの栽培に適さないこの地域に着目して 養魚池を作ることを考えたのが 松本伴七郎氏。

明治11年(1878) に鯉魚養育会社を設立して 鯉の養殖を始めた。 さらに 明治29年(1896) には 埼玉県水産奨励会を組織して,養殖した鯉を沼や河川に放流した。明治36年(1903) には 水産奨励会を埼葛水産組合と改名。地域の養魚業者の育成をはかると共に,魚の品評会などを開催し,鯉・鮒・鯰 などの淡水魚の養殖を推進した。その間 利根川の氾濫により養魚池が壊滅的な被害を受けるなどの辛酸をなめながらも,明治11年(1878) に養魚を開始してから 同36年(1903) までに放流した鯉の数は,400万匹以上にも及んだという。

養魚の歴史はあまり研究されていないのか,はっきりした資料が見当たらず詳細は明らかでない。現在金魚の養殖が盛んに行われている大和郡山では,18世紀前半の江戸時代から武士の内職として 金魚の飼育が行われていたといわれ,明治維新により職を失った武士が集団で養殖を行うようになった という記録があるという。

養魚が地域の産業として広く行われるようになったのは,多くの地域では 大正期~昭和初期からであり,ここ埼玉県北東部の羽生市近辺で明治初期から鯉の養殖が行われたのは非常に早い時期であり,その意味で発祥の地と唱えているのだろう。

さいたま水族館は,羽生水郷公園(かつての湿地帯の自然の沼地を生かした自然公園)内の主要な施設として,昭和58年(1983) に開設した 埼玉県営の水族館。一般の水族館が 海水魚中心の展示であるのに対して,ここでは 海のない埼玉県内に生息する 淡水魚を中心に展示しており,海水魚はいないという,地味ではあるが ユニークな水族館である。

埼玉県には 87種類の淡水魚が生息しており,そのうち展示可能な70種類余りが展示され,魚類の他にも 両生類・爬虫類・甲殻類など 合わせて120種類ほどが見られる。中には 天然記念物のムジナモ(食虫植物)も展示されているが,羽生水郷公園は 日本で唯一のムジナモの自生地である。


さいたま水族館は、平成27年(2015) にリニューアルした。そして翌年火災が発生しさらに翌年に再オープンした。リニューアルの過程で養魚について語るのをやめてしまったのではないかと思われる。

写真

  • 養魚発祥の地
  • さいたま水族館 エントランス
  • さいたま水族館(2021)
  • たしかこの壁に貼ってあったはず(2021)

碑文

養魚発祥の地

 水族館のあるこの地では,すでに明治11年に松本伴七郎氏を中心に北埼地区の有志によって養魚会社が設立されました。
 さらに明治29年には,この会社が「埼玉県水産奨励会」と改名され強化されました。奨励会ではコイ・フナ・ナマズ・ドジョウなどの養殖や河川の管理について計画実施されました。
 この会で生産した稚魚は県内の養魚場や河川はもとより,関東一円から遠く岐阜県にまで輸送されました。
 自動車やポリ袋,酸素のない時代に長期間運ぶことは,想像以上に大変だったでしょう。

地図

地図

羽生市三田ヶ谷 付近