横浜 郵便 発祥の地
よこはまゆうびんはっしょうのち
横浜高速鉄道 みなとみらい線 馬車道駅から南東に300m。ホテルルートイン馬車道の南側の“弁天通”を東に進むと、弁天通3丁目の東端近くの歩道上掲示板横に高さ1mぐらいの石碑があり、「横浜郵便発祥の地」と書かれている。
日本の郵便制度は明治4年(1871) に、それまでの飛脚制度に代わってはじまり、東京・大坂・京都に“郵便役所”が、その他全国各地に“郵便取扱所”が設けられ、郵便ネットワークは急速に整備されていった。その後郵便取扱所のうち主要なもの270ヶ所が2等~4等の“郵便役所”と改称され、明治8年(1875) になるとすべての郵便役所・郵便取扱所は“郵便局”と改称された。
横浜の弁天通のこの地には、安政6年(1859) に旅館“鹿嶋屋”が建てられていたが、明治政府はこの建物を借り上げ“横浜郵便取扱所”とし、間もなく“横浜郵便役所”となった。さらに明治8年(1875) に横浜郵便局(1等)となり、また現在の横浜駅近くには神奈川郵便局(3等)も開設された。昭和42年(1967) 横浜郵便局は“横浜港郵便局”、神奈川郵便局は“横浜中央郵便局”に改称された。
この発祥碑は、旅館“鹿島屋”の創始者の玄孫 松岡恵によって平成21年(2009) に設置され、横浜市中区に寄贈された。
写真
碑文
横浜郵便発祥の地
日本の近代郵便制度は明治4年(1871年)に制定された。
明治政府は同年5月、ここ関内・弁天通3丁目41番地(当時)に設置した仮役所を、7月15日正式に横浜郵便役所とし、横浜に於ける初の郵便業務を開始した。
この地では、横浜開港の安政6年(1859年)6月に旅館「鹿島屋」が創業、明治4年には鹿島屋(山室)亀吉が主人として営業していた。山室亀吉は横浜・六角橋出身で、慶応3年(1867年)には横浜-江戸・永代橋間に初の蒸気船旅客航路を開き、江戸の廻船問屋とともに「稲川丸」を就航させ定期運航した。その所有家作を政府が借り上げ郵便役所としたものである。横浜開港150周年に当たりここに記念碑を刻む。
平成21年(2009)
郵便局株式会社