安東氏 発祥の地

あんどうしはっしょうのち

五能線 藤崎駅の南1km、藤崎八旛宮(南津軽郡藤崎町四本松69)の、国道7号に面して数m高くなっている場所に木標が立てられている。

11世紀の中頃(平安時代末期)、東北地方の大豪族 安倍氏を京都政権の派遣軍が討ち滅ぼし(前九年の役、1052~1062)、戦死した安倍氏の頭領 安倍貞任の子である高星丸たかあきあるが藤崎に落ち延び、成人して安東氏をおこし、藤崎城を築き、地方豪族として大いに栄えたと伝わる。

後に安東氏は南部氏に藤崎城から追われ、福島から檜山(能代)に移り、戦国大名 秋田氏として関ヶ原の戦いでは西軍についた。

藤崎城は永保2年(1082)または寛治6年(1092) に築城された。非常に大きな「外郭」と呼ばれる土塁や堀があり、下級の家来や一般民衆が住む場所が形成され、「本丸」「西の郭」「東の郭」の3つから構成されており、藤崎八幡宮は「東の郭」の一部に当たる。15世紀半ば頃まで隆盛をみたが、内紛、朝廷や幕府の混乱から、南部氏による勢力拡大により安東氏にかわり南部氏の時代となる。

その後元亀2年(1571)、大浦為信(津軽為信)の急襲を受け、天正13年(1585) 頃に廃止されるまでの築城から500年余りを、城として使用された。ただし天正20年(1592) の太閤検地の時に逗留したというので、取り壊されたのはその後とかんがえられている。

城廃止後、藤崎城は建物が取り壊され、江戸時代を通じて堀の跡は水田の苗代として使われ、土塁や建物のあった場所などは畑となった。戦後に市街地の発展や国道7号線バイパスの建設拡張などで、現在は堀跡や土塁跡など遺構はわずかとなり、当時をしのぶことは容易ではない。

写真

  • 安東氏発祥の地
  • 藤崎八旛宮

碑文

安東氏発祥の地

藤崎城土塁の跡

地図

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藤崎町四本松 付近 [ストリートビュー]