あんたがたどこさの発祥地?
あんたがたどこさのはっしょうち
西武新宿線 本川越駅から東に1km、東西に走る東照院中院通りが、北に東照院、南に中院に至る十字路の近くに閻魔堂記念碑が建つ南院遺跡の隅に、小振りで粗末な看板が掲げられている。
写真
碑文
②47都道府県の幕末・維新史 八幡和郎 監修 大和書房
川越藩🪭こぼれ話「あんたがたどこさの発祥地?」
手まり唄の「あんたがたどこさ」は川越発祥という説がある。戊辰戦争のとき、川越の仙波山に駐屯していた熊本の兵士と子どもの会話が由来という。歌詞が熊本弁でないことが根拠のひとつであるらしい。
八幡和郎先生・原文ママ
向いの古山は古来“仙波山”と呼ばれ大正11年川越市誕生の折 大部分が削られ県道になりました。小仙波の人々は小山を日枝神社古墳として護っています。
童歌を訪ねて
日本音楽著作権協会(出)許諾第8855052-801号
著者 太田信一郎 日本童歌協会会員・日本放送作家有名なこの童謡は 仙波山で誕生したという本が全国で話題になっています。
あんたがた何処さ
〽あんたがた
何処 さ 肥後さ
肥後何処 さ 熊本さと歌い継がれてきたこの手鞠唄は、一説には「問答唄」といわれ、幕末から明治期にかけて生まれました。九州熊本がその発生地のように思われていましたが、実は関東の歌で、埼玉県川越市喜多院裏の
「仙波山」 あたりがそもそもの発祥地であることが地元川越市の郷土史研究家 によって明らかにされています。幕末に薩長連合軍が倒幕のため川越の仙波山にも駐屯し、その時付近の子どもたちが兵士に「あんたがたはどこから来たのさ」「肥後から」「肥後って何処さ」「熊本のことさ」と問い、答えた(問答)ことから始まったと伝えられ、後に手鞠唄として歌い遊ばれました。
(著書 原文のママ・許諾済み)
日枝神社古墳は“仙波山”の愛称で親しまれてきました
- 都道府県の「幕末・維新」 (だいわ文庫) 八幡 和郎 (監修)