青森の発祥の地
あおもりのはっしょうのち
青森駅の東1kmにある
当社は、善知鳥村が後に青森市と発展していく礎となったことを発祥として謳っている。近くの本町2丁目の路傍に“「青森」発祥の地”碑があるが、そちらは青森という呼称の謂れについて宣言している。
延暦20年(801)、坂上田村麻呂が宇曽利山(恐山)に向かう途中にこの地に立ち寄り、戦勝を祈願して一宇を建立したことが神社の起源と伝えられている。この時、善知鳥尊を祀ったことが始まりとされている。
その後、善知鳥神社が鎮座する一帯は「善知鳥村」と呼ばれるようになり、これが後に「青森」の地名の由来となったとされている。すなわち、善知鳥村の住民が善知鳥神社から見下ろす海辺の青い森を指して、「青森」と呼ぶようになったという説が有力である。
善知鳥神社は古くから青森の総鎮守として信仰を集め、地域住民の心のよりどころとなっていた。近世に入ると、藩主の保護も受けるようになり、社殿の造営や祭礼が盛んに行われた。また、神社の祭神である宗像三女神は航海の安全を守る神とされており、海上交通の要衝であった
写真
碑文
善知鳥神社の由緒
善知鳥神社は現在の青森市が昔善知鳥村と言われた頃、奥州陸奥國外ヶ浜鎮護の神として 第十九代允恭天皇の御世日本の国の總主祭神である
天照 坐皇 大御神 の御子の三女神を善知鳥 中納言 安方 が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治めその神願霊現あらたかな神々を祭った事に由耒している.又、善知鳥中納言康方は此の地で人々に初めて漁猟と耕作を教へ此の辺一帯今日のように発展したのは康方の聰明なる知恵と才能と勇氣が、神々の御意に叶い人々に慕い仰がれる所以となったと言われている爾耒此の善知鳥神社は青森の発祥の地として長い間連綿と敬神崇祖の信仰が受け継がれている.
コメント