備前国 須々木氏 発祥之地
びぜんのくにすすきしはっしょうのち
秩父鉄道 三峰口駅から県道37号線を北に7kmほど上ると,道の駅両神温泉薬師の湯のすぐ北、国民宿舎両神荘の400mほど西に,法養寺と並んで
平安時代から鎌倉・室町時代にかけて“武蔵七党”と呼ばれた武士団があった。横山党・児玉党・猪俣党・村山党⋯⋯などである。その一つに“
薄氏は本家である丹党中村氏が播磨に国替となったのに伴い備前の国へ移ったとされ,移住後は船山城を中心に「須々木」氏となって活動。南北朝期には須々木備中守高行が足利尊氏に従い,四條畷の合戦で楠木正行の率いる南朝軍と戦っている。
戦国時代になると宇喜多家の配下に属したが, 関ヶ原の役の後は宇喜多氏が滅亡し,須々木氏も船山城下で帰農したと言われている。
写真
碑文
備前国須々木氏発祥之地
備前国須々木氏は 当地を本拠とする丹党薄氏が 鎌倉時代に備前国へ移住し 其の文字を須々木と改めたものである 備前国金山寺文書の 正和二年 丹治宗行寄進状に「須々木惣領殿」と端裏書があるところから須々木氏は丹治を本姓とすることが知られる 亦同じく金山寺文書 長享三年須々木一族連署起請文の中に 横瀬 大淵 寺尾など 秩父地方の地名を氏とした者の署名がある事で明白である
岡山市玉柏 発起人
旧姓須々木氏 須々木隆次
久山 石男 須々木貞久
須々木 正 須々木信一
須々木 武 須々木蘓衞
須々木 彬 須々木 毅
須々木一郎 須々木次雄
須々木一夫 須々木正二三備前国 成石 建之
昭和六十二年十一月吉日