日本茶発祥の「茶の木」

にほんちゃはっしょうのちゃのき

福岡 博多の中心にあり、日本最初の禅寺として知られる聖福寺の境内に、日本茶発祥を示す「茶の木」が植えられている。高さは1m50cmほどだろうか。茶畑のお茶の木とは異なり、ヒョロッとした外観で、看板がなければお茶の木とはおそらくわからないだろう。

聖福寺を開山した栄西禅師によって、日本でお茶の栽培が始められたとされ、その末裔をここに移植したものだという。純粋に「発祥の地」を示すものではないが、看板にこれだけ「発祥」をうたっていることから、コレクションに追加する。(当コレクションは、真贋等は関係なく、表示の有無が重要)

日本茶そのものは奈良時代や平安時代に、すでに僧たちによって中国からもたらされたともされている。喫茶の習慣として、日本茶を広めたのが栄西とのことだ。栄西は宋に留学した際に、禅寺でお茶が盛んに飲まれていることを知り、お茶に関する「喫茶養生記」という専門書を記している。

帰国後の栄西は中国から持ち帰ったお茶の種を、現在の福岡県の隣の佐賀県吉野ヶ里町松隈に植え、茶の栽培を開始しました。聖福寺のこの茶の木は、この日本最初の茶畑ともいえる吉野ヶ里町松隈の石上坊跡から移植されたものだ。

日本茶の最大産地、静岡県の牧之原台地には銅像が立っているらしい。

「『日本茶』といえども、実は外来種だった!」というのが素直な驚きだ。現代では海外から種を持ち帰って栽培することなど、検疫の関係でおそらくできないであろう。日本茶好きの日本人としては「外来種排除」などと言って、茶の木が駆逐されなかったことを安堵するばかりだ。

写真

  • 聖福寺の境内
  • 日本茶発祥の「茶の木」
  • 日本茶発祥の「茶の木」

碑文

日本茶発祥の「茶の木」

現在、飲まれております日本茶は今より約800年前の1191年に臨済宗の「栄西禅師」中国(南宋)より帰国する際、茶の種を日本に持ち帰り、佐賀県神埼郡吉野ケ里町松隈の「背振山霊仙寺石上坊」の前庭で栽培したのが始まりとされ、その後「聖福寺」境内で栽培されています。
この茶の木は、禅師の偉業をたたえるとともに、茶振興を祈念し関係機関の協力を得て、茶樹栽培発祥地「石上坊跡」に自生する栄西禅師ゆかりの茶の木を移植したものです。 

平成20年3月15日

佐賀県神埼郡吉野ケ里町
地域おこしグループ「さざんか塾」

地図

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