藤間流 発祥の地
ふじまりゅうはっしょうのち
東武東上線 上福岡駅の北西 約1km。高階南小学校の南の 川越街道沿い, マツダ販売店の斜め向い側。アパートの裏側の家の庭に石碑が建っている。
「藤間流」は, 日本舞踊の一流派。日本舞踊は 現在数百の流派があるとされ, その中で 花柳流・若柳流・坂東流・西川流 と 藤間流が, 五大流派と呼ばれる。藤間流は この地 武蔵国入間郡川越の藤間村出身の 藤間勘兵衞によってはじめられた。 勘兵衛は 能の狂言師で, 宝永年間に江戸へ出て 日本橋で踊りの師匠となり, 歌舞伎の振付師に取立てられたと伝えられる。
現在藤間流は, 勘右衛門派・宗家藤間流・紫派・藤間新流・紋三郎派藤間流などがある。特に 勘右衛門派は歌舞伎の重鎮が 藤間勘右衛門の名前を引継ぎ, 尾上菊五郎・松本幸四郎など経て, 現在の六世藤間勘兵衞は (4代)尾上松緑であり, 日本舞踊の中でも由緒正しい系統とされる。
石碑は 個人住宅の敷地内にあり 裏面を直接見ることが困難で, 垣根の外側から覗いた範囲で わずかに見えた碑文は不鮮明である。
写真
碑文
藤間流発祥の地
埼玉県知事
栗原 浩 書日本舞踊界の名流藤間流の始祖藤間勘兵衛がこの地の出身であることは学界の定説である
彼の出身は山城国と伝えられるが川越庄藤間の地に居住し宝永の頃江戸に出て日本舞踊の一派を開き居住の地藤間を姓とするとともに流派の名を藤間流と称した。ここに勘兵衛の血脈をうけてこの地に住む人々並びに有志相はかってその故地に建碑し、功を後世に伝えるものである。
昭和四十二年五月吉日
藤間流発祥の地顕彰会
工事施行者
秩父市 ■■石材工業所
長瀞町 ■■工務店
■■市 今井造園
書 ■屋■蔵