富士製鋼 株式会社 発祥の地

ふじせいこうかぶしきがいしゃはっしょうのち

京浜急行 大師線 東門前駅から北に100m。国道409号 大師道に面して 広大な工場跡地が続く。その中に場違いなインド風の建物が 建っているのが目立つ。その南東端の「ご信徒通用門」と書かれた入口脇に茶色の石碑が建っている。

川崎には多数の工場があるが, バブル崩壊後の経済情勢の変化の結果, 相当数の企業が 工場を移転させ 空洞化が進んでいる。特に 大師道沿線は メルシャン・コマツ・日鉄建材・ いすゞ など いくつもの大企業の工場が姿を消し, 現在は西部の開拓地のような荒涼とした 更地が広がっている。いずれは 住宅地や商業施設などに変化していくのだろうが, 殺風景で 寂しい風景である。

そんな工場跡地のど真ん中に ポツンとインド風の建物が出現して 驚かされた。 まだ周辺には何もないので とても目立つ存在になっている。「川崎大師平間寺自動車交通安全祈祷殿」という大きな看板が見られ, あの「川崎大師」の自動車のお祓いをする所だと聞いた。日鉄建材の工場跡地 5.6haの一部が利用されている。新年の初詣など, 大勢の参詣客が集まる時の駐車場としても利用されるようだ。

富士製鋼は, 大正7年(1917) に起業した会社だが, 大正末期に経営が悪化し 永野重雄氏が支配人兼工場長として再建をはかり, 昭和9年(1934) に 製鉄の大合同があって日本製鉄に吸収された。以後 富士製鐡・新日本製鐵と変わり, 日鐡建材となった。平成18年(2006) に 住友金属建材と合併して「日鐵住金建材株式会社」となっている。

写真

  • 川崎大師自動車祈祷所
  • 富士製鋼発祥の地
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碑文

富士製鋼株式會社発祥の地

 大正6年11月30日 富士製鋼株式會社は 製鋼 鋳鍛鋼と諸機械の製造を目的として この地に誕生した
 その後 日本製鐡 富士製鐡さらには新日本製鐵 日鐡建材 日鐵建材工業と幾多の変遷とともに成長を遂げてやまない
 多くの先達が波瀾に満ちた星霜を不退転の意志を漲らせて この地この工場を護り発展のために日夜心血を注いだ
 いま時と空間を超えて 川崎に鏤刻された伝統と技術は変わることなく脈々として生き続ける
 ここに先人たちの刻苦精励の跡を偲び功績を顕彰して 記念碑を建て 後世に残すものである

昭和57年10月19日

新日本製鐵株式會社
取締役名誉会長 永野重雄

地図

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川崎区大師河原1丁目 付近 [ストリートビュー]