細王舎 創業之碑

さいおうしゃそうぎょうのひ

細王舎は, 明治中期に設立された農業機械メーカーで, この場所に工場があったが, 現在はガソリンスタンドになっている。

細王舎の歴史は 碑の裏面の「細王舎小史」に書かれているが, ここで製造された脱穀機や小型耕耘機などは国内第一のシェアを持ち, アジア諸国にも輸出されたという。

昭和30年代以降の産業の構造変革に伴い, 同社は小松製作所の傘下に入り「小松部品」となり, さらに「小松ゼノア」と社名を変えて現在に至っている。その後平成に入り、平成12年(2000)に本社立川工場が川越に移転、平成10年(1998)に社名が「ハスクバーナ・ゼノア」と変更された。

小田急線 読売ランド前駅の西400m。県道3号 津久井道の高石歩道橋下交差点に面して 西側、歩道橋の下に石碑が建つ。

写真

  • 細王舎創業之碑 碑文
  • 細王舎創業之碑
  • 細王舎創業之碑 細王舎史
  • 読売ランド前駅
  • 細王舎創業之碑 (2019)
  • 細王舎創業之碑 碑文(2019)
  • 細王舎創業之碑 細王舎史(2019)
  • 細王舎創業之碑 背面(2019)

碑文

農機具之元祖

細王舎 創業之碑

 明治22年先々代箕輪政次郎翁, 郷土細山にて細王舎工場を創設 農蚕機械器具の発明改良製作に着手。当工場は後, 事業発展とともに当地に遷り, 先代箕輪亥作の手で, 農機具メーカーの元祖として当時神奈川県を代表する工場に発展するに至った。この碑は昭和の激動の時代に相前後して細王舎の経営を受けついだ元細王舎当主の箕輪嘉夫と小松部品株式会社が, 当地の縁につらなる者として碑刻したもので裏面にその偉大なる先達の創業の精神と功労の一端刻み永く後世に伝えると共に創業90有余年三代に亙る風雪をしのぶものである。

昭和54年8月吉日

元細王舎当主
箕輪嘉夫
小松部品株式会社取締役社長
佐久間志郎

細王舎小史

 「細王舎」なる名稱は, 創業者箕輪政次郎翁夫妻出生の地たる, 生田村細山と柿生村王禅寺両地の字に由来し, 亦細より出て王にいたるを念ずるに由来するという。いづれも翁の强烈な創業者精神を象徴するものであった。
 翁は明治維新よりわづか20数年にして座繰機械を発明し世に出したが, 我国産業界一般頗る幼稚なる当時ではまさに一大快挙とも謂うべく, さらに相ついで世に出された撚簇(まぶし)製造機, 足踏式糸繰機械, TM式製縄機, 製筵機, 藁打機等々その悉くが農家の必需品と化し, 農村作業の改善に貢献するところ多大なるをもって, 時の日本発明協会長渋沢子爵より表彰される栄誉に浴した。
けだし当時の農機具業界にあっては極めて異例のことであった。
 その後を襲った先代箕輪亥作も創業の精神そのままに一意農村の為なる信念をもって機械の発明に没頭し、その蘊蓄を傾注して大正初年ミノル式稲麦扱機親玉号, 大正式廻転桑刻機その他数種の発明を完成した。これらの新製品は, 発売されるやたちまちにして全国津々浦々まで普及し, 各地博覧会, 共進会等に於て、いづれも最高賞を授与された。就中親玉号は斬新な三⻆形の意匠が注目を集め, 業界に三⻆形の模倣製品を流行させたが, 元祖親玉号はその堅牢さと回転の軽快な事で他の追随を許さず全国の市場を圧倒した。そのせいか単に「神奈川県細王舎」のみの宛て名で郵便物が間違いなく配達されて来た程に「細王舎」の名は全国に轟いた。
 昭和に遷り, 当主箕輪嘉夫が事業を受けつぎ, 太平洋戦争敗戦後の混乱の中で食糧増産, 農業機械化の機運を察知し, 昭和28年に米国メリーティラー社と技術提携をなし小型では本邦初の空冷エンジン搭載の耕運機メリーティラーを在来品の1/3の価格で世に問うた。同機は軽量コンパクトにして諸作業機の完備により1台であらゆる管理作業を可能にした。しかも故障絶無にして, 安かったのでたちまち全国の農村から部落単位の大量の注文が殺到した。この結果メリーティラーは耕運機の代名詞となり, 当時の農村の必需品となるに至った。
 その後耕運機の発展性に着目した大手メーカーの業界進出模造品の新規参入が相つぎ, それらを契機として業界再編成の動きが活発化する潮流の中で細王舎も, 昭和35年12月に㈱小松製作所と業務を提携し, さらに昭和43年12月に社名を小松部品㈱と変更した。現在では所在地も厚木市小野に移っているが, 細王舎の従業員とその創業の精神を受けつぎ, 土木建設機械用油圧機器製造に新しい歴史を築いている。なお同社はさらに昭和54年10月1日に同じ小松製作所系列のゼノア㈱と合併し, 新生「小松ゼノア㈱」という証券取引所㐧1部上場企業の有力工場として発展の道を邁進せんとしている。

以上。

地図

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