長十郎の ふるさと

ちょうじゅうろうのふるさと

京急川崎駅から北東に1km、廃駅となった六郷橋駅跡近くの、国道15号の多摩川を渡る六郷橋のたもと下流側に、細身で小振りな看板が立っている。

長十郎とは、皮が茶褐色でごりごりした独特の歯応えがおいしい梨の品種。多摩川右岸は河口付近から30kmほど上流の稲城市あたりまで、昔から梨栽培がさかんだ。大師河原村(当寺)の梨農家のひとりが、他とは少し様子の違った梨を明治26年(1893)に見つけ、栽培をはじめた。屋号をとって長十郎と命名した。

明治30年の病疫で被害のあった梨のうち、長十郎は比較的被害が少なかったことから、その後さかんに栽培されるようになった。後に病気を防ぐ技術が確立して二十世紀梨が人気となり、さらに新品種である幸水が登場するなど、長十郎の圧倒的人気はそう長く続かなかった。

なお、現在では長十郎は主に青森県や秋田県など東北地方でよく栽培されている。

平間へいけん寺(川崎大師)境内には、発見者当麻辰次郎の偉功碑も建てられている。

写真

  • 種梨遺功碑
  • 種梨遺功碑 案内札
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  • 長十郎のふるさと 六郷橋
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碑文

川崎歴史ガイド◉東海道と大師道

長十郎のふるさと

多摩川沿いにどこまでも続いていた梨畑。明治中頃、病害に強く甘い新種が大師河原村で生まれた。発見者当麻辰次郎の屋号をとり、「長十郎」と命名されたこの梨は、川崎からやがて全国へ。

地図

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川崎区旭町1丁目 付近 [ストリートビュー]