日本初の 常設 サーキット

じょうせつさーきっと

東急 東横線 新丸子駅の北側、多摩沿線道路が通る堤防の内側がコンクリートで階段状に固められている。途中に自転車道のような通路があり、よく見ると60cm四方ほどのプレートが埋め込まれている。

昭和11年(1936)、自動車はまだまだ庶民が気軽に使える時代ではない頃、自動車レースは競馬場・飛行場・埋立地を使って開催されていた時代に、この河川敷に1周1200mのオーバルダートコースが常設サーキットとして建設された。四輪車はもちろん、二輪車のレースも開催された。

戦中に中断されていたが、戦後になって公営ギャンブルのオートレース場にしようとしたが船橋オートの開設で断念。競輪競技場にしようとしたが川崎競輪が近く断念。米国占領地などではジムカーナが流行していたが多摩川スピードウェイには響かず、そうこう悩んでいるうちに周囲の人口が増加してきたためサーキットそのものを継続することをあきらめ、閉場した。

その頃の観客席として造成されたコンクリート製雛壇が残されており、堤防工事がありそうだからか何か、80周年を記念して現地で記念式典が開催され、記念プレートが埋め込まれた。しかし河川保護のため、階段状の堤防のある内側に向かって堤防を強化する工事が令和3年(2021) 秋に着工。保存運動がおこり、行政との協議の結果、3席分3mあまりを切り取って一時撤去、堤防工事が終了後にモニュメント的に再設置されるという。また、当プレートに加え、観客席だったのだということを示すプレートを新造して並べて設置する計画なのだという。

令和4年(2022) 3月に再設置予定だったようだが、遅れているようだ。

写真

  • 日本初の常設サーキット 碑文
  • 日本初の常設サーキット
  • 日本初の常設サーキット

碑文

多摩川スピードウェイ
TAMAGAWA SPEEDWAY

多摩川スピードウェイは、日本初の常設サーキットとしてこの地に建設されました。階段状のコンクリート製堤防は、当時の観客席そのものです。多摩川スピードウェイは、日本初の常設サーキットとしてこの地に建設されました。階段状のコンクリート製堤防は、当時の観客席そのものです。
1936年6月の第1回大会以降、ここで第2次世界大戦前の数年間を中心に自動車・オートバイのレースが開催され、3万人の観客を集めていました。
若き日の本田宗一郎氏をはじめ、出場者・関係者の多くは、レーで得た技術・経験を活かし、戦後の自動車産業の発展において中心的な役割を果たしました。
開場80周年を機に、多摩川スピードウェイが果たした役割と、先人たちの功績を後世に語り継ぐべく、この碑に記します。

This is the site of the Tamagawa Speedway. When it opened in June 1936, it duly became the first permanent motor racing circuit to be built in Japan. And here is the old grandstand, constructed from stepped rows of concrete.
Number of car and motorcycle race meetings were held here (mainly in the pre-WWII era), often attracting as many as 30,000 spectators. Drivers and entrants were able to develop their skills through racing, and may later played an iomportant role in the postwar Japanese motor industry.
This plaque was placed here to mark the 80th anniversary of Tamagawa Speedway, the words etched upon it standing as a celebration of both the track and the achievements of the motoring pioneers it was able to spawn.

寄贈◎多摩川スピードウェイの会 2016年5月
Endowed by Tamagawa Speedway Society, May 2016

地図

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川崎市中原区上丸子天神町 付近 [ストリートビュー]