平戸 松浦氏 発祥之地
ひらどまつらうじはっしょうのち
平戸市役所の北方500mに“松浦史料博物館”がある。博物館の正面入口の階段脇に「松浦史料博物館」の大きな標石が立っていて、ここに「平戸松浦氏発祥之地」と書かれている。
江戸時代、平戸藩を治めた藩主松浦氏は、出自を辿ると平安時代まで遡る非常に古い歴史がある。
平安時代から戦国時代にかけて肥前松浦地方で活躍した武士団は「松浦党」と総称され、“松浦水軍”(海の武士団)として 壇ノ浦合戦では平家方の水軍を率いて参戦し、また鎌倉時代の蒙古襲来にも参戦した記録がある。その中で松浦郡に土着した者が松浦党の中心として強大化し、戦国時代に松浦氏を名乗った。これが松浦氏の発祥である。
戦国時代になると平戸には ポルトガル船などが入港し、盛んに貿易が行われるようになった。平戸の松浦氏は貿易による利益を背景に一族をまとめ、戦国大名として力をつけた。
豊臣秀吉による島津征伐の際に、秀吉は松浦氏の勲功を賞して平戸以外の領地に転封しようとしたが、「累代の苦心によって得た土地であるから、後世末代まで現所領の安堵の確証を賜りたい」と言上し、秀吉は所領の“永代安堵”の誓約を与えたと言われる。
江戸時代に入ると、鎖国政策のために外国との貿易は長崎に奪われたが、平戸を城下町として平戸藩10万石は 明治維新まで続いた。
松 浦史料博物館は平戸市にある旧平戸藩主松浦家と平戸の歴史に関する史料を収蔵した博物館で、この場所には江戸時代から松浦家が館を置いていた。戦後 1955(昭和30)年に、松浦家より平戸市へ建物・敷地が寄贈され、博物館として開館した。資料館は 1893(明治26)年に謁見応接の間として建てられた“千歳閣”で、“旧松浦家邸宅”として長崎県の指定文化財となっている。
写真
碑文
平戸松浦氏発祥之地
財団法人 松浦史料博物館
蘭英貿易時の藩主邸跡