市田柿 発祥の里
いちだがきはっしょうのさと
飯田線 市田駅から西に約1.5km、大丸山公園の入口である大丸山公園東交差点に面して、かなり大きな石碑が立つ。
市田柿とは、長野県南部の市田村(現在の高森町)近辺で生産され始めた柿で、柿の品種名である。文献によると13世紀頃には周辺で柿の栽培や干し柿の加工がなされていたことがわかっている。
焼いて食したりもして、焼き柿と呼ばれていたが、ブランディング戦略により大正時代から市田柿と改称。太平洋戦争中には贅沢品として扱われ新植を禁じられた上、半数近くが強制的に伐採されるなどの打撃も受けた。戦後の高森町では養蚕農家が酪農に切り替わり、柿栽培を兼業とした。また、最低耕地が標高500m以下にも広がり、土手の上に成るがままにまかせていた柿栽培は、本格的に果樹園を形成する時代となり、現在にいたる。
地域のキャラクター「柿丸くん」はわりと丸顔に描かれるが、市田柿はその印象とは少し違って紡錘形の果実である。
中央道の高森町境付近には市町村を表す表示があるが、その表示にも柿丸くんのイラスト共に「市田柿発祥の里」と記されている。また、町内には、市田柿原木の地という石碑も設置されている。
【参考】
わざわざ柿の結実季に訪ねてみたものの、市田柿といえば多くは加工品である干し柿のことなんですね……。
写真
碑文
市田柿発祥の里
長野県知事 吉村午良書
昭和63年2月