いけ花 発祥の地
いけばなはっしょうのち
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発祥碑の背後には『池坊専応口伝』という文書が掲げられていて、次の説明が添えられている。
『池坊専応口伝』について
いけ花発祥の地モニュメントの背景となっている文書は、『池坊専応口伝』の冒頭の部分です。
十六世紀の中頃、池坊家の祖先、池坊専応がその弟子に授けた花伝書で、「瓶に美しい花を挿すこと」と、池坊が伝える「よろしき面影をもととする」いけばなの違いを説いています。
川端康成氏はノーベル賞を受賞した時、「美しい日本の私」と題した記念講演の中で、日本美術の特質と伝統について述べ、この花伝書を引用して、いけばなが小さい瓶上に大きい自然を象徴するものであること、「野山水辺をのづからなる姿」を花の心として、
破 れた器、枯れた枝にも“花”があり、そこに花による悟の種がある――と解説され、各方面から注目されました。池坊ではこの花伝書を『
大巻 伝』といい、いけばなの根本を示す花伝書として代々継承して、今も相伝を続けています。
同じ六角堂境内にある華道発祥之地のページも併せてご参照ください。
写真
碑文
いけ花 発祥の地
六角堂頂法寺
華道家元
池坊
六角堂
寺号を
紫雲山 頂法寺 と号する寺で、本堂が六角宝形造 であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。開基は、聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁十三年(八二二)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳二年(九九六)には花山法皇の御幸があり、西国三十三ヶ所観音霊場(現十八番の札所)となったと伝える。建仁元年(一二〇一)、親鸞上人が当時に百ヶ日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。
本堂には、聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音像、親鸞像、毘沙門立像(重文)などを安置する。本堂前の六角形の礎石は臍 石といい、古来、京都の中心にあたるとされてきた。また、本堂北の本坊は
池坊 と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出したところで、華道発祥の地として有名。現在も池坊華道の拠点となっている。京都市