稲作文化 発祥の地

いなさくぶんかはっしょうのち

 
撮影:
2020年4月(写真 まさ・なち さん)

遠賀川 右岸 水巻町立屋敷地内、鹿児島線の橋から200mほど上流の堤防上 横断歩道近くに、稲作文化発祥地をアピールするギザギザな形をした案内看板が建つ。左から見ると田の様子が描かれた「稲作文化発祥の地」、右から見ると土器を象って抜かれた「立屋敷遺跡あと」となるようだ。

写真

  • 稲作文化発祥の地
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  • 稲作文化発祥の地
  • 稲作文化発祥の地 説明
  • 稲作文化発祥の地 背面

碑文

稲作文化発祥の地

立屋敷遺跡のあと

立屋敷遺跡と稲作文化

弥生時代(やよいじだい)紀元前(きげんぜん)3世紀(せいき)紀元(きげん)3世紀(せいき))に、(こめ)づくりは大陸(たいりく)から北部(ほくぶ)九州(きゅうしゅう)に伝わり、弥生式(やよいしき)文化(ぶんか)として全国に広まったと考えられています。人々は縄文(じょうもん)時代(じだい)までの()りや採集(さいしゅう)移動生活(いどうせいかつ)から、米づくりによる定住生活(ていじゅうせいかつ)(いとな)むようになりました。
立屋敷(たてやしき)遺跡(いせき)は、弥生時代(やよいじだい)前期(ぜんき)から後期(こうき)にわたる遺跡(いせき)です。土器(どき)をはじめとして石包丁(いしぼうちょう)木製(もくせい)農具(のうぐ)など米づくりにかかわるものがみつかりました。米づくりがどこで(はじ)まったのか、(たし)かなことはわかりませんが、立屋敷(たてやしき)遺跡(いせき)はその発祥(はっしょう)の地の1つであったといわれています。

「遺跡のあと」にはやや違和感があるが、遺跡は埋め立ててしまったので「遺跡の跡」で正しい。気持ちとしては複雑。

地図

地図

遠賀郡水巻町立屋敷 付近 [ストリートビュー]