稲作文化 発祥の地
いなさくぶんかはっしょうのち
遠賀川 右岸 水巻町立屋敷地内、鹿児島線の橋から200mほど上流の堤防上 横断歩道近くに、稲作文化発祥地をアピールするギザギザな形をした案内看板が建つ。左から見ると田の様子が描かれた「稲作文化発祥の地」、右から見ると土器を象って抜かれた「立屋敷遺跡あと」となるようだ。
- 稲作文化発祥地の立屋敷遺跡(碑)
- 稲作発祥の地(駅前レプリカ付)
写真
碑文
稲作文化発祥の地
立屋敷遺跡のあと
立屋敷遺跡と稲作文化
弥生時代 (紀元前 3世紀 〜紀元 3世紀 )に、米 づくりは大陸 から北部 九州 に伝わり、弥生式 文化 として全国に広まったと考えられています。人々は縄文 時代 までの狩 りや採集 の移動生活 から、米づくりによる定住生活 を営 むようになりました。立屋敷 遺跡 は、弥生時代 前期 から後期 にわたる遺跡 です。土器 をはじめとして石包丁 、木製 の農具 など米づくりにかかわるものがみつかりました。米づくりがどこで始 まったのか、確 かなことはわかりませんが、立屋敷 遺跡 はその発祥 の地の1つであったといわれています。
「遺跡のあと」にはやや違和感があるが、遺跡は埋め立ててしまったので「遺跡の跡」で正しい。気持ちとしては複雑。