かみふらの ラベンダー 発祥の地 (日の出公園)
かみふらのらべんだーはっしょうのち
富良野線 上富良野駅の東1.1km。上富良野町営の“日の出公園”の丘の上、展望台の前に「かみふらの日の出ラベンダー園」の標識があり, それに並んで 「発祥の地」と書かれた金属製の碑が建っている。
上富良野町は「富良野平原開拓発祥の地」であり, 富良野地方一帯の発祥の地 とも言える場所。日の出公園が 上富良野のラベンダー発祥の地とされる由来は, 下記の碑文に詳しく 書かれているが, この丘は 7月のシーズンになるとラベンダーに覆われ 青紫一色となる。
ここを訪れた5月末には まったくラベンダーがなく, 一部にあった青紫の花は別の種類の花だった。
なお, 日本で最初にラベンダー栽培をしたのは 札幌市南区と言われ, そこにも「ラベンダー発祥の地」碑が建っている。
写真
碑文
上富良野 ラベンダー発祥の地
上富良野町のラベンダーの由来
ラベンダーは, フランス原産のシソ科の多年生小灌木で, 古くから地中海沿岸で香料作物として栽培されてきた。
日本でのラベンダー栽培は, 昭和12年に曽田香料株式会社がフランスから種子を入手し, 全国の農業試験所に移植して試験栽培を行った結果, 北海道が気候的に生育に一番適していることが確認され, 昭和15年から札幌郊外と岩内郡の二か所に農場を確保し, 本格的な作付けが始まりました。
上富良野町にラベンダーが作付けされたのは昭和23年で, 町内の東中 在住の植田美一, 太田晋太郎, 岩崎久二男氏等が曽田香料札幌工場に働きかけ委託栽培契約を結び, 富良野地方で初めてラベンダーの根が下ろされました。
昭和26年には, 町内の東中にボイラー式蒸留工場が設けられ, 作付面積の拡大に伴い, 島津, 江花, 旭野, 日の出, 里仁地区にも蒸留施設が設置され, 最盛期には85ヘクタール, と全国の85%が生産されました。
昭和45年には, 全道で275ヘクタールの作付け面積を記録した後, 輸入品の増加と天然香料需用の頭打ち, 農業構造の変化により減反の一途をたどり, 上富良野町でも昭和52年に香料原料としての買い付けが中止されました。
しかし, 丘一面を紫に染めるラベンダーを愛する人々が, 栽培を継続していたことが踏み台となり, 昭和50年以降からラベンダーの観光の面での知名度と価値観が高まり始め, 新たな観光作物への途が開かれ, 昭和56年には町民のシンボルとして「町花」に認定されました。
北海道の初夏の花として皆さんの目を和ませ, 魅了しているラベンダーは富良野地方はもとより, 北海道を代表する花としてこの上富良野から第二の道を歩み始めたのです。かみふらの 日の出ラベンダー園