川崎市 水道 発祥地之碑
かわさきしすいどうはっしょうちのひ
建物東側出入口近くにあったものが、バリアフリー等によるレイアウト変更で建物北側に移設されたようだ。
多摩川に近い当地は、大正10年(1921) から使われた川崎初の浄水場戸手浄水場だったのだという。当地から下流の川崎駅方向、川崎町へ配水されたのが川崎市の水道の始まりとのこと。
東側にあった時の、赤い石碑、白い方体、小さい看板に加え、グレーの円柱状の「さいわい歴史ガイドサイン」が木の下に増えている。ピサの斜塔よろしく傾いでいるのは、木の根に押されているのではないかとやや心配。
写真
碑文
川崎市水道発祥地之碑
川崎市がこの地に初めて浄水場を設置し近代的水道とし て給水を開始したのは大正10年である 以来昭和43年その機能を停止するまで川崎市民の生活を支えるとともに市勢の発展に大きな役割を果してきた 今ここに川崎市幸文化センターを建設するにあたり戸手浄水場の跡を広く市民に伝えるためにこの碑を建立するものである
昭和55年7月
川崎市長 伊藤三郎
市内最初の近代水道
かつてここには, 市内最初の近代水道施設である戸手浄水場がつくられ, 飲料水に恵まれなかった川崎町の水事情が一変した。
完成が大正10年。市内でも水質のよい宮内から取り入れた 多摩川の水を約7キロメートルの導水管で戸手へ導いた。 当時の計画給水人口は4万人, 1日最大給水 量は3320立方メートルであった。
その後, 急激な人口増加に伴って, 昭和13年に菅から 取り込んだ多摩川の伏流水を水源とする生田浄水場が通水, 昭和29年には相模湖下流の沼本取水口からのトンネルが 約32キロにも及ぶ長沢浄水場が完成するなど, 川崎市水道の発展に伴い, 戸手浄水場は昭和43年に その役割を終えた。
川崎市水道発祥の地
右 古川 かしまだ
左 小向 かわさきさいわい歴史ガイドサイン
川崎市幸区役所