神戸 高等 工業 学校 発祥之地

こうべこうとうこうぎょうがっこうはっしょうのち

山陽電鉄 西代駅から南東に180m。“細田線”と呼ばれる 水笠通と細田町を区切る道路に面して, ポケットパーク風の空間があって 花壇が作られている。花壇の花に埋もれるように 黒御影石の碑が置かれている。

第一次世界大戦後 文部省は高等教育機関の拡充を打ち出し, 兵庫県では 大正10年(1921)に神戸高等工業学校, 大正12年(1923)に姫路高等学校が設置された。昭和19年(1944) 「神戸工業専門学校」と改称。昭和24年(1949) 新制「神戸大学工学部」に引き継がれた。

この地は“西代校舎”として 学校設立時から神戸大学になるまで継承されたが, 神戸大学の各学部が 六甲台に統合されることとなり, 昭和37年(1962)に移転が完了。 残されていた旧校舎の建物も 阪神大震災後の区画整理のため 平成11年(1999)に取り壊された。

この付近は阪神大震災により 大きな被害を受け, 長田区では 1,000人近い死者を出した。 これは 神戸市全体の20%に当たる。また 倒壊家屋も多く, さらに火災による被害も大きく, 80%の建物に大きな被害があったとされる。このため 震災復興にあたり大規模な区画整理が行われ, 現在は全く新しい街に変貌している。

写真

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碑文

神戸高等工業學校
發祥之地

神戸高等工業学校 1921
神戸工業専門学校 1944
神戸大学 工学部 1949

地図

地図

長田区水笠通1丁目 付近 [ストリートビュー]