神戸 税関 発祥の地

こうべぜいかんはっしょうのち

 
撮影:
2006年10月
2024年9月(写真 オカさん)

三宮駅の南800m。国道2号 海岸通りに面して「地方合同庁舎」がある。この敷地の南西の隅に歩道に面して 黒御影石の碑が建つ。

安政5年(1858), (アメリカ)(イギリス)(フランス)(ロシア)(オランダ) の五ヵ国と結んだ修好通商条約により, 日本は長い鎖国政策を廃止して安政6年(1859) 長崎・横浜・函館 の3港を開港し, それぞれに「運上所」を開設した。 神戸の開港はそれに遅れて慶応3年(1868) であった。

“運上”とは 商工業者が払う税金の一種で, 現代の“取引税”にあたる。港に作られた“運上所”は関税を取り立てる役所だったが, この当時の運上所は幕府の外務や港の行政・刑事など、港に関する総合的な役所を兼ねていた。

「兵庫運上所」は 開港と同時に開設され, 全国の運上所が「税関」として名称を統一されることとなった明治6年(1873) に「神戸税関」と改称された。現在の神戸税関は, ここから国道と阪神高速道路を越えた300mほど南東(中央区新港町12番)にある。


碑の背後にあったこんもりした植栽はいつのまにか撤去されて平成26年(2014)頃に車路にされた。

写真

  • 神戸税関発祥の地
  • 神戸税関発祥の地
  • 神戸税関発祥の地 碑文
  • 神戸税関発祥の地 碑文
  • 神戸税関発祥の地
  • 神戸税関発祥の地 側面 碑文(2024)
  • 神戸税関発祥の地 (2024)
  • 神戸税関発祥の地 側背面(2024)
  • 神戸税関発祥の地 側背面(2024)
  • 神戸税関発祥の地 碑文銘板(2024)

碑文

神戸税𬮦発祥の地

神戸税関の前身である兵庫運上所は, 一八六八年一月一日、兵庫港開港とともに、この地に開設された。
開設一三〇年に当り, 神戸港の更なる発展を祈 って記念碑を建立する。

平成九年十一月
神戸税関

神戸港は、現在の兵庫・和田岬を中心として、遠くは奈良時代から「大輪田の泊」、後には「兵庫津」などと呼ばれ瀬戸内海から京都への海上交通の重要な位置を占めていた。特に、平安時代には、平清盛が行った日宋貿易、室町時代には、幕府を中心とした日明貿易が隆盛を極め、また、琉球などの船も数多く出入し、東アジア交易の一翼を担う日本の窓口として賑わった。江戸時代の末、諸外国から兵庫の開港を迫られた幕府は、慶応3年5月23日、夜を徹した「兵庫開港」などについての朝議のなかで、翌24日(1867年6月26日)、15代将軍徳川慶喜の働きにより、ようやく開港の勅許を得た。その後、柴田日向守剛中に「兵庫奉行」を命じ、外国人居留地及び開港においての貨物の手統、関税の徴税などの運上事務(海関事務)とともに、外交事務を処理する機関を「運上所」と命名し、この地に庁舎を建設する等の開港事務を行った。慶応3年12月7日(1868年1月1日)、当時では珍しいガラス張りで「ビードロの館」と称された「運上所」において開港式が行われ、碇泊中の外国軍艦から祝砲が放たれる中、神奈川、長崎、函館についで、ここに兵庫(神戸)港が開港した。明治5年5月(1872年6月)、運上所は大蔵省の所管となり、同年11月28日に全国的に運上所の名刺を廃止し、税関と呼称を統一することが決定され、神戸運上所は明治6年1月、神戸税関と改称した。なお、その後11月28日は「税関記念日」とされている。本年は、神戸港開港及び運上所開設130周年に当たり、また、5月には「神戸港復興宣言」がなされ「平成の開港」と位置づけられたことから、神戸港の更なる発展を祈念して、ここに神戸港と共に歩んできた神戸税関の前身である「運上所」跡地に記念碑を建立する。

「レリーフの説明:中央に見える高灯籠は、生田の馬場の石灯籠で、その右側やや大き目の建物が開港当時の運上所」

1997年11月28日 神戸税関

地図

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